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仮 後南朝の自天王さん 上北山村編

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自天王さんとの出会い 今から、何十年前のことだろうか? 当時小学生だった私は、吉野郡上北山村小像(ことち)にある北山宮へ親戚のともだちと遊びにいくところだった。 お盆所はよ…
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#尊義王

03 嘉吉の変から、二皇子の行宮移動

03 嘉吉の変から、二皇子の行宮移動

1、嘉吉の変から吉野南山に移動

嘉吉の変とは、室町時代の嘉吉 元年( 1441年 )に 播磨 ・ 備前 ・ 美作の守護 赤松満祐 が、室町幕府6代将軍足利義教を暗殺し、領国の播磨で幕府方討伐軍に敗れて討たれるまでの一連の騒乱である。

そして、同年ついに「嘉吉の変」に乗じ、小倉官の皇子である天基親王と円満院宮が京都へ進攻して、三種の神器のひとつ神璽(しんじ)を奪い、吉野南山に御所を置きました。

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04 嘉吉の乱・・二皇子暗殺

04 嘉吉の乱・・二皇子暗殺

1,嘉吉の乱

ところが、嘉吉の乱により滅ぼされた赤松家の家臣が、お家を再興させるため、当時、北朝方や将軍家が血まなこになって探していた神璽を南朝から奪回することを企てました。

2,二皇子暗殺

長禄元(1457)年12月2日の夜、赤松の家臣により2つの御所が襲撃され、自天王は18歳の若さでこの世を去り、忠義王は御所で討死、

あるいは、その場は死地を脱したものの、川上村の高原で最期を遂げたと伝

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