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エッセイ 逆さ水
逆さ水をご存じですか。ぬるま湯を作る時に、普通はお湯に水を入れて作りますが、その逆に、水にお湯を入れてぬるま湯を作ることを「逆さ水」と言います。葬式の時はすべてを通常と逆の手順で行うものだとされ、湯灌(遺体の体をぬるま湯で洗う儀式)に使うぬるま湯もそのようにして作るらしいのです。
我が家では毎朝、食事の後に、二人ともそれぞれの薬を飲む習慣になっています。そのためのぬるま湯を作るのは私の仕事になっています。それぞれの湯飲みに、まずポットのお湯を7分目ほど入れ、その後、浄水を足して飲み頃の温度に薄めます。必ず、お湯が先です。女房がそういうことを気にするので、逆さ水は作らないように、うるさく言われているのです。
ところが、今朝は順番を間違えてしまいました。いつもは浄水が小さめのペットボトルに半分以上入れてあるのですが、きょうはすごく少なかったのです。(これでは足りないかもしれない、継ぎ足さなくては)と思いながら、ペットボトルを手に取ると、意外に重く、(これなら何とか足りるかもしれない)と思い直し、2つの湯飲みに分けて入れてみたのです。(これなら足りそうだ)、と思った瞬間、やばいと思いました。(先に水を入れてしまった。まあ、いいか。黙ってやっちゃえ。)と私はその水が入っている湯飲みにお湯を注いだのです。(わかりゃしない。)私は何事もなかったかのように、女房の湯飲みを、女房がいつも薬を飲む座卓の上に運びました。女房は洗濯物を干すのに忙しくしています。私は先に自分の薬を飲み終えて、ゆっくりを熱い茶を飲みだしました。
しばらくして洗濯物を干し終えた女房が、座卓の前に座りました。私は意識的に女房の方は見ずに、お茶をすすりつづけました。次の瞬間です。「あッ、ごめん‼」と女房の悲鳴のような大きな声。振り向くと女房の湯飲みが座卓の上に転がっていました。お湯は、一滴残らず座卓から零れ落ち、座布団やホットカーペットまで濡らしていました。あわてて雑巾でふくやら、座卓をどけて、座布団やホットカーペットを日干しするやら、の大騒動となりました。
いつもなら、(もっと気を付けなきゃだめじゃないか)と𠮟りつけるところですが、きょうは何も言わず、後始末をいっしょになって手伝っていました。やっぱり後ろめたい気持ちがあったのでしょう。(これって、もしかして・・・逆さ水のせい?黙って女房に逆さ水を飲ませようとしたバチが当たったのか?)それ以外にこの偶然を説明する理屈が私には思い浮かびませんでした。いいように考えれば、女房に逆さ水を飲まさないように、神様か仏様が、わざと女房の湯飲みの水をこぼしてくださったんだと、考えられなくもありません。でも、私は逆さ水を飲んでしまったんですけど・・・。今のところ何事も起こっていません。
その後も女房には打ち明けられずにいます・・・。