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何に縛られるでもなく、僕らはどこへでもいける。『Worlds end』


思わず、泣きそうになってしまった。

ミスチル大好きの友達に勧められて観た、『Mr.Children Dome Tour 2019 “Against All GRAVITY”』のDVD。

現時点で彼らの最後のLIVEとなっている、そのツアーの中の一曲が、心に突き刺さった。
それが、アンコールで披露された『Worlds end』という曲だ。


2005年に発売されたアルバム『I♡U』のトップを務めたこの曲。その後発表されるベストアルバムでも2枚組の後半のトップに収録されているが、実はシングル曲ではない。アルバム収録曲にもかかわらず名曲揃いのMr.Childrenだが、その代表とも言える作品だ。


「何に縛られるでもなく 僕らはどこへでも行ける
そうどんな世界の果てへも 気ままに旅して廻って…」

ここの一番のサビの部分だけ聞くと、今この移動が制限された世界とのギャップを、どうしても突きつけられる。ましてや、大歓声の中で歌っている彼らの姿を見るとなおさらだ。

でも、サビはそこからまた次のように続く。

行き止まりの壁の前で 何度も言い聞かせてみる
雲の合間 一筋の光が差し込んでくる映像と君を浮かべて

そう、実はこの歌の主人公は、実際に飛び回っているわけではない。そんな自分をイメージしているのだ。

それを受けて、二番のサビを聞いてみてほしい。「二番に本当に言いたいことがある」と言われるミスチルの歌詞の中でも、特に名フレーズと言われている部分だ(ちなみにソースは僕)。

飲み込んで吐き出すだけの単純作業繰り返す
自動販売機みたいに この街にボーッと突っ立って
そこにあることで誰かが特別喜ぶでもない
でも僕が放つ明かりで 君の足下を照らしてみせるよ きっと きっと

街角にある「自動販売機」なんて、全くもって不自由で、自由とは正反対にあるように思える。そんなものに自分を重ね合わせながら、それでも「君」のために存在する意味を確かめている。

そこにあるのは、「意志」だ。世の中がどうだとか、誰かにどう見られているかとか、そんなのは関係ない。自由であるかどうかを決めるのは自分自身だ、という強い意志。信じる力、と言っても良いかもしれない。

僕らはきっと試されてる どれくらいの強さで
明日を信じていけるのかを… 多分 そうだよ

このフレーズは、今この先行きの見えない世界を生きる僕らに、まさに問いかけられている言葉のような気がする。

そして、この曲は最後のサビでこう締めくくられる。

何にも縛られちゃいない だけど僕ら繋がってる
どんな世界の果てへも この確かな思いを連れて

人と人とがリアルに出会いつながることが、リスクとなった世界。
それでも僕らは「イメージの力」で、「信じる」ことで、自由に誰かと繋がり、どこへだって行くことができる。そう、たとえ世界の果てへだって。


ちょうどその頃、「オンラインで人と人が出会うということの可能性」について、考えを巡らせているところだった。
このフレーズは何だか、コロナ禍の中、何とか人と繋がりたいとあがき続けた、僕たちのことを歌っているような気がして。

そこに、LIVE映像で楽しそうに歌っているミスチルや観客の姿を見ながら「ああ、もう一度この熱狂の中に戻りたい」というどうしようもない切なさもあいまって、一人でグッときてしまったというわけだ。


Mr.Childrenの楽曲はこんな風に、一見壮大でカッコいいフレーズやテーマの裏には必ずと言っていいほど、人間っぽくて泥臭い表現がセットになっている。

だからこそ、曲を聞いた僕らは「今ここにいる自分」のことを、少しだけ認めてあげることができる。身動きの取れない、もしかしたらみっともない自分のことを、好きになれるとまではいかずとも「悪くないよな」と思える。
そうやって、等身大に寄り添いつつも自然と希望を感じられるようなメッセージが、彼らのつくる曲の魅力だと僕は思う。

なかなか自由に旅に出られない、もどかしいこんな時代だからこそ、ぜひ聞いてみて欲しい一曲だ。


※オンラインで人と人がつながる可能性について、書いたnoteはこちら。少々長いですが、よければ読んでみてください。


◇◇◇

旅とミスチルについて書いた他のnote。こちらもよければご覧ください。


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