『終わりなき旅』が聴けない件。(ミスチルあるある言いたい)
閑話休題。Mr.Childrenが好きだ。ベタなのはわかっている。
僕の中の「オシャレな旅人」は、エド・シーランとかブルーノ・マーズとか、あとは「コレ言っても知ってるかなァー」みたいなインディーズバンドを聴いていて、「わかってるねェー」とハイネケンをカチンと合わせて意気投合したりしてる。
あ、なんか余計な僻み根性が出てきた。とにかく、ベタでもなんでも、僕はミスチルが好きだ。
こういうnoteとかブログというものは義務感だけでは続かないとわかっているので、マジメな話題以外に「これでもか」と語れるものは何だろう、ということで用意したのがコレである(はやくも弱気)。
とはいえ、「旅」がテーマのnoteである以上、この曲のことは最初に書いておかねば・・というわけなのだが、表題の通り。
『終わりなき旅』は聴けないのである。
正確にいうと、「滅多なことでは聴けない」。
これ、多くのミスチルファンは共感してくれるんじゃないかと思っている。
僕で言えば、高校の部活時代、テンションを上げて臨む大事な試合の直前。練習で思い通りにいかずに、悔しさや情けなさを噛みしめて歩いた帰り道。
大学受験、「絶対落ちたな・・」と虚しさをごまかすように、ウォークマンを聞きながら合格発表の掲示板を見に行った日。
自分の番号を見つけたまさにその時、この曲がイヤホンから流れた瞬間は、間違いなく僕の人生のハイライトだ。
(シャッフル機能がいい仕事するなあ、という経験、あなたにもないだろうか。)
そんなわけで、最近サブスクも解禁されたミスチルのプレイリストを聴くのは大好きなのだけど、うっかりあのイントロのギターが鳴らされようものなら「違う違う、今じゃない」と慌てて次の曲へとスキップしてしまう。
僕の中での大切な感情や思い出が結び付き過ぎているせいで、普段の何でもない時に、この曲はもったいなくて聴けないのである。
いまとなっては『終わりなき旅』は、自分にとって本当に大事なタイミングで心の奥から引っ張り出す、宝箱の鍵のような存在なのだ。
で、その宝箱を、実際のライブのクライマックスで開けてもらったあかつきにはもう。。
いや、ここからさきは語るまい。ウソ、見栄を張った。語れない。言葉になんかできない。
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さて、ここまではミスチル好きをダダ洩れにしただけだが、実はちゃんと「TABInLife」的な考察も考えてある。
が、ここまででアツくなりすぎてしまったので、これはまた別の機会で書いてみようと思う。
※今後も、旅に関係あったりなかったりするミスチルとか音楽の話も交えていこうと思ってます。
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さて、若干ステマ的に告知してきた、「ゲストハウスサミット2019」もいよいよ明日から。毎日投稿もちょっとお休みして、ここからはマイペースに投稿していこうと思います。最後に、チケット購入はこちらから!