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原爆の惨禍から75年

一昨年、東京を出て広島に住もう、と決意し、今年のはじめにようやく住み始めることができた。私は元々広島の生まれではないけども、大学時代の4年間で過ごした広島での時間が心地よかったのか、自然と故郷よりも広島を選んだ。

今日の朝は、これから広島に住み続け、そして将来はここで教育に関わる人間になるという自覚が芽生えていたせいか、平和記念式典をテレビで見る間、ひどく気が重かった。

75年。

これだけ時間がかかっても、核兵器はなくならなかった。
そしてその恐ろしさを75年前に目の当たりにした被爆者が、我々のそばにいてくれるのも、もう長くない。

今日はなにより、無念さを感じた。

被爆した者が核兵器のない世界を切望し、それに向けて努力してきた。それなのに、こんなに時間が経っても、まだ核兵器はなくならないなんて。

創造力が足りないからなのか。人間が弱い生き物だからなのか。
広島や長崎の惨禍を目の当たりにしなくとも、想像すれば誰もが思うだろう。核兵器などあってはならないと。

それなのになぜ、と子どもと同じ思考回路でそう思ってしまう。そんな強大な力を持って、何が守れるのか。

広島の人々だけではなく、今や世界中の人がこの広島の人々の想いを代弁してくれている。グローバル化の進展で、世界は徐々に一体となってきている。
だから今よりもっと、もっとこの平和への想いを多くの人と共有し、核兵器を廃絶できるような大きな力になることを祈るばかりである。




惨禍を実際に目の当たりにしなければ、その恐ろしさがわからないなんて、我々はそんなに愚かな生き物ではないと信じたい。

7年ほど前、被爆者の坪井直さんから直接聴くことができた。75年前の今日は街が文字通り焦土と化し、人は焼けただれてもはや人には見えず、かろうじて息のある人は焼ける肌を冷やそうと皆が川に飛び込み、川には焼けただれた死体が積もっていったと。

話を聴いたときのことを思い出すだけでも胸が重くなる。この惨禍を風化させることなんてできない。

学校や地域、様々な大人から将来を担う人間として育てられ、28歳。今すでにこの国の未来を担う大人である。

偉い人が、影響力のある人が、ではなく、今自分に何ができるかを考えて行動していきたいと思う。

核兵器は無くならなくとも、貧困や公衆衛生など、世界は確実に少しずつ良くなっている。

希望を忘れずに祈り、行動し続けたい。

1人でも多くの人が平和で幸せに生きられる世界になりますように。

外は暑いし、友達にも会えないけど、明日は美味しい食パンを食べて、夕方にバイク走らせて、幸せな1日にしよう。

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のりとろはす
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