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【散歩編】鉄道開業150周年祝散歩①

一週間を忙しく過ごした人は、一瞬のように週が過ぎ去ったと感じるかもしれません。そんな時には、ふと頭を空っぽにして、街を歩いてみるのもよいものです。さて今日は特別編。鉄道開業150周年を記念して、品川から新橋まで、鉄道開業の足跡をめぐる街歩きとしましょう。

1872年10月14日

日本に初めて鉄道が開通したのは、1872(明治5)年10月14日。先日でちょうど150周年を迎えたのです。明治5年というと、新政府が発足してたった5年。富国強兵、殖産興業を急いだ先人達の力強さが窺えるところです。
歴史で勉強した人も多いと思いますが、日本最初の鉄道は新橋から横浜までを結びました。今回の散歩時間帯は「週末の夜」。鉄道が開業した区間のうち大都会である品川をスタートし、新橋まで散歩してみましょう。

品川駅は再開発中

さて、旅の始まりは品川駅。毎日何十万人という人が行き交う、都心南部のターミナル駅でもあります。実はこの品川駅、昔は海岸沿いにありました。開業以降、埋め立てが進み、高層ビル群が立ち並ぶ現在の姿になっています。
最近、駅では大規模な再開発工事が行われています。これは2027年以降に開業するリニア中央新幹線のターミナル駅とするためです。また、品川駅を発着する私鉄「京浜急行」も現在の高架ホームを廃し、JR線に並び地上にホームを構えることになります。現在の品川駅は、東西が一本のコンコースで結ばれ、シンプルですが都会の駅としてはややアクセスが悪いという課題があります。こうした点が解消される第一歩となるのでしょう。

国道15号は海岸線!

品川駅高輪口前には、箱根駅伝のコースでもある、国道15号が通っています。ところで皆さんは「古地図散歩」というアプリをご存知でしょうか?会社の後輩に教えてもらったのですが、古地図上に現在地が表示され、まるで昔のその場所にいるかのように、散歩を楽しめるアプリなのです。これを見ると、何と国道15号はまさに海岸線だったのです。いわれてみれば、なんとなく海岸線のカーブのような国道になっています。つまり、線路を含めここから臨海部寄りは全て海でし

日本初の鉄道は海を走った?

これは有名な話で、鉄道開通150周年を記念してテレビ番組などでも放送されているため、ご存知の方は多いかもしれません。日本最初の鉄道は「海を走った」のです。え!水陸両用!?と思いますが、そうではないのです。
鉄道を敷くのは、その進路となる土地を買い取るため容易ではありません。古くから土地を持つ人にとっては、先祖代々伝わる大切な土地を良く分からない乗り物とやらが通るから、国に売らないといけない、とたまったものではありません。こうしたことから、特に都内の土地買収に難航します。しかし、開業を急いでいた政府は思いつくのです。「そうだ、陸ではなく、海に鉄道を通せば良いのだ」と。ついては、石垣で海に堤防のようなものをつくり、そこに線路を敷いたのです。日本に城を築く技術があったために、容易に石垣を敷けたといいます。
なので、歩いている国道は海岸線だったところ。その横の線路はもともと石垣を作ったところが埋め立てられているのです。

石垣が出てきた!

品川駅近くの工事現場。もちろん駅前の再開発も行われていますが、よく見ると、埋蔵物の文化財発掘調査と書かれているではないですか。そうです、実は先に述べた「高輪築堤」は後年の埋め立てによりどこにいってしまったのか誰にもわからなくなっていました。しかし、品川駅の再開発で地面を掘っていたら出てきたというのです。大事なもの、埋めてしまったのですね(笑)いや、当時はレールを敷く上での工夫くらいの位置付けで、後から歴史的価値が増したのかもしれません。何とも面白いですね。

新駅に込められた期待

何度も言うように国道のすぐ脇は海だったのです。そして反対側は小高い山になっています。今も線路があるからか、海側は視界が開けていて昔の面影を少し残しているように思います。今は線路が何十本も並行しているので、実は品川の東側と西側はかなりアクセスが悪いのです。
しばらく旧海岸線を歩いていると右側にドーム城の駅が見えますが、これが京浜東北線と山手線の新駅として話題になり、2020(令和2)年に開業した高輪ゲートウェイ駅です。この駅は、品川東西のアクセス向上と再開発に向けた起爆剤としての期待が強い駅です。

「静」と「動」のバランス

高輪付近はオフィスビル街です。昼間は稼働していすが、夜は皆業務を終え帰宅するので、建物付近は閑散としています。人も数名歩いている程度です。しかし車はひっきりなしに通過。線路の方からは電車が行き来する音が聞こえます。かたや静的、かたや動的という、アンバランスが何とも言えず良い味を醸し出しています。

お洒落化が進む田町駅

田町駅に近づくと、国道が赤羽橋方面に分岐する交差点があります。ここの歩道橋から分岐先をみると、東京タワーを一望できます。特に夜景はとても綺麗なので、写真スポットとしても良いかもしれません。
しばらく歩くとまた賑やかになり、駅前らしくなってきました。ここが田町駅です。都営線の方は「三田駅」と呼ばれています。地名は諸説ありますが、両駅名とも「田」という文字が入っており、近くに用水路や水系が発達していたことからも、田畑として長年利用されていたのかと思います。
現在では比較的高級嗜好のクリニックや歯科も多く、飲食店も高級店やお洒落な店が多くあります。
また近くには慶応大学の三田キャンパスもあり、いわゆる慶応ボーイらしき人が多くいますね。つっちー@乗り鉄は彼らを前にKO負け状態でした。

小さな川

しばらく歩くとまたオフィスビルなどが立ち並び、浜松町の駅に近づくと、道がカーブを描き、芝4丁目の交差点に差し掛かります。ここで海側に向かう道と交差するのですが、なにやら半高架の線路をくぐるように伸びています。この道路自体が昔は水系の一つで、入間川(いりあいがわ)という川が流れていました。現在は埋め立てられ、川であった面影は少なくなっていますが、明治時代の地図には水路に橋が架かるようになっており、まだ水系が残っていたことがわかります。

古川に見られる風情

少し歩くと、今度は本当の川を渡ります。上には川を覆うように首都高が建設されており、川はしんみりとした様子です。少し違いますが、構図は「日本橋」にも近いでしょうか。線路側には川を元気に電車が渡っており、提灯のついた船がありました。屋形船でしょうか。ここにも都会の「明」と「暗」、「静」と「動」が垣間見られました。
この古川、実は渋谷の宮益坂の方から流れています。高層ビルが立ち並ぶ都会であまり「川」を意識する機会はありませんが、開発は人がするものです。もとは自然の営みを感じることができます。渋谷の宮益橋から天現寺橋までが渋谷川、天現寺橋から河口までが古川と呼ばれています。

浜松町と芝離宮

そうこうしているうちに、また飲み屋街が見えてきて、次第に街が賑やかになっていきます。浜松町駅が近くなってきました。羽田空港などへ向かう東京モノレールの玄関口でもある浜松町駅。駅前には多くのオフィスビルが立ち並びます。
さて浜松町の「浜松」とはどこから出てきたのでしょう?実はこれ、元禄時代に浜松出身の「権兵衛」という人物がこの地の名主だったことに由来するそうです。静岡の浜松が影響していたのですね。
浜松町駅の東側には緑が多いイメージがありますが、旧芝離宮恩賜庭園があるからです。この芝離宮は江戸時代の大名の庭園です。現在は近くの埋立や開発で海は見えませんが、昔は海に面していて東京湾が一望できたとか。さぞ絶景だったことでしょう。明治時代の地図では、まだ海に面していました。

美を備えた浜離宮

ここから新橋駅方面に進むと、東側にはさらに緑が見えてきますが、浜離宮恩賜庭園があるためでしょう。こちらも大名庭園で「浜離宮」と呼ばれており、国の特別名勝・特別史跡となっています。徳川家の別邸として使われ、明治時代以降も皇室関係の行事などで活躍しています。芝離宮などは周りが埋め立てられたのに対し、浜離宮は海に近く、海水が入ってくる庭園となっています。

イタリア街と新橋駅

開業時の新橋駅は「新橋停車場」と呼ばれていて、現在の新橋駅よりも少し南寄りにありました。このエリアは「イタリア街」と呼ばれています。見てびっくり、ヨーロッパのような街並みが広がっているではありませんか。エリアでいうと極めてコンパクトなのですが、異国情緒あふれる建物、石や煉瓦調の舗装道路などが特徴で、映画のロケ地などとしても使われています。新橋停車場が新橋駅に移った後もこの地は長らく貨物ターミナルとして活用されていましたが、1990年代に再開発の機運となり、地元が異国情緒あふれる街並みを目指したのです。

鉄道開業150周年

今年で鉄道開業から150周年。長い年月とともに鉄道は全国の輸送を支える大動脈として進化を遂げてきました。今回はその原点や都会の秘密を散歩を通じて探ってみました。海を通る鉄道、それを支えるかのように発展した周囲の街並み。新たな発見も数多くありました。皆さんも是非、お時間のある時に行かれてみてください。


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