結果的に幕末の理想を体現する現在
幕末に盛り上がった尊王攘夷運動を抑え込んだ江戸幕府は、一般的に開国佐幕の思想位置にあったと理解されます。そのため、鎖国を国法とした幕府は一転して、黒船来航以降、外国人を許容する政策に転じたように思えます。
しかしながら、当時の開国佐幕は、現代的なインターナショナリズムからは程遠いものでした。少なくとも、幕府の末端では、開国佐幕攘夷という矛盾する思想がむしろ一般的で、欧米の武力による威嚇を背景にいったん開国するものの、軍事力の強化を達成した時点で、再び攘夷的場合によっては鎖国的な政策に回帰することを当然視する空気があったとされます。
これはいわゆる大攘夷論に近いものです。庶民レベルで具体的なグランドデザインが意識として共有されていたとは考えられませんが、少なくともこれは、尊王攘夷運動から転じて対外開放による富国強兵の道を選んだ明治政府の当初の思想的根底を形成していたと考えられています。
歴史的に見れば、島原の乱の頃の日本は、十分に軍事力が強く、開国を強要しようにも、要地に点在する程度の初期欧米植民地政府の手に負える相手ではありませんでした。しかし、幕末には日本は欧米の戦略投射能力に圧倒され、開国を強要される立場に成り下がっていたということでもあります。
そうした歴史の流れのなかで、自らを守るに足る防衛力を保有し、限られた国際貿易で利益を得るものの、外国からの人間の来訪は謝絶し、また外国への渡航も禁じて、国内で完結する文化的純度の高い社会を「取り戻す」ことは、まさに幕末日本人の夢だったといえます。
その点、令和2年の現在の社会状況は、結果的に、幕末の日本人が夢見た理想社会を実現している、という見方ができるのではないでしょうか。
フラット化するグローバル世界であったコロナ前は、国際間の往来が不可能になった場合、果たして世界経済を維持できるのか感覚的な疑問を感じるレベルまで、国際化が進んでいた気がします。
しかしながら、実際には、航空、観光等の直接的打撃を受ける産業を除き、外国との往来がなくなっても、ビジネスに大きな支障は生じませんでした。
ミクロに見れば影響を受けている業態は無数にあれども、想像以上に「鎖国してもとくに実害がなかった」と感じるのが庶民感覚のような気がします。
さらにいえば、コンテンツとしての国際競争力が皆無である少数のアイドルグループが長期間キャスティングボードを握り続けている国内文化も、江戸時代同様、文化的純度が高まったガラパゴス化が著しい気がしています。