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許す…ということ

私が生きていく中で最も難しいと思っていることに「許す」があります。

それは自分であったり、ときには他者であったり…
何か出来事であったり。
憤りを感じるとあっという間に発芽するんです。

以前は発芽して、大きくなって花は咲かずとも
朽ちることはなくて青々とそこにずっとある…
今は発芽することは減ったように思えます。


今日、洗濯物を干していたら母への憤りの思い出が蘇りました。
私がまだ20代の頃の話です。
当時お気に入りだったフリフリの付いた白いTシャツを洗濯した際に脱水が終わって、カゴに移そうと取り出してみると、無残にも白いTシャツは赤くまだら模様になっているではありませんか!

”えっ?何で…”

他にもタオルもパンツも藍染か?という惨事。

原因を探ると母のエプロンのポケットに蓋がとれた油性の赤マッキーが…
「これが原因だったのか」はやがて大きな怒りに
変りました。

怒りは当然、母に。

「ね、このTシャツ、高かったんだよ!気に入っていたのにお母さんのマッキーのせいで赤くなっちゃったじゃない!弁償してよ!!!」

母はとてもとても困惑していました。
謝罪があったかどうかは覚えていません…あったのかも。
怒りでいっぱいの私は例え、ここで「ごめんね」があったとしても、受け止められる余裕はなかったんでしょうね。

今でこそ母はたまたまポッケにマッキーを入れっぱなしにしてしまっただけのこと。

洗濯しているうちにキャップが外れただけのこと。

たまたまそこに私の洗濯物が入っていただけのこと。

ホント、これだけなんです。と思えますが…
だったら、自分で手洗いしろよ!とも思ってます(笑)

まだら模様の残念なTシャツはお気に入りだったので、
どうしても捨てることができず、部屋のチェストの上にホコリがかぶるくらいまで放置してたんです。

ある日それが息を吹き返したように真っ白になって、ベットの上に置かれていました。


残念ながらこの時も私は「やったー!真っ白になった」
くらいにしか思っていなかったように思えます。
「ありがとう!」は言ったのかもしれませんが、
どこかしら当たり前とも思っていた、どうしようもない自分だったわけです。

洗面所には母が格闘したであろう痕跡が残されていました。

2~3種類の漂白剤、固形石鹸、たわし、染み抜き剤etc.

これは弁償するお金が惜しいとか、私に怒られたからとかじゃないんです。

母は貧しい農家の出、穴が空いたら繕う、物が壊れたら直して使う、
口癖は ”もったいない” です。
今は100均もあるし、直す手間より買い替える時代のように感じます。

物を大切にする人です。
人とのお付き合いも大切にする人です。


まさか今日、この思い出が蘇るとは。

洗濯物を干しながら、あの時の母の心境はどうだったんだろう…

本当は心からありがとうを言うべきだったな…

どんな思いで洗面所で格闘していたんだろう…

今このnoteを書きながら私は『許す』という作業をしています。

それは多分、母を許すというより
母を許せなかった自分を許しているのだと思います。

本当は「ありがとう」が言いたかったんだよね…

お母さん、いつも忙しいから構って欲しかったんだよね

大好きが言いたかったんだよね…

そして、愛されたかったんだよね。


わからないけど、わからないけど

何だかこれで自分がシアワセになる許可が出せそうです。


いつもありがとう。
今日もありがとう。

Share the love♡ Nori



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