おさまりがつかんのです
今、私の周りで起こっている出来事。『親の介護』です。
母が検診で胸腺の辺りに腫瘍があると判明し、何日にも渡る検査で病院へ…
彼女は運転ができませんし、遠い病院なので私が送迎をしています。
最初は
本当に心配で、付き添うことで、お医者さんからの話も自分が伺うことで、安心していた…自分に安心させていたところがありました。
私の生きている上での恐怖は『知らない、わからない、そして動かない』とわかっているので、知ればなんとか自分を安心させてあげられると思っていたのです。
検査入院当日、母をいつものように病院まで送り手続きに付き合って、病室に近いナースステーションで再度、最終確認。
看護師さんは「はい!では娘さんはここまで!中には入れませんので、ご質問があれば今のうちにお伺いしますが…」
この言葉を聞いて、私はとても安心したのです。酷いでしょうが、「あぁ、お任せできる…」と安堵。この時にとても割り切っている自分がいました。検査入院なので、次の日には退院。お迎えは仕事で行くことができないので、義理の姉にお願いをしました。
「ノリコも大変ね…何かあれば、私も協力するから」義理の姉のこの言葉を聞いて、あれ?もしかして…私は母をとても可哀そうな人に勝手にしていたんじゃないかな?と過ったのです。
そういう風に母を助けていると、母も自分は病気で大変で可哀そうな人になっていくのです。病気が移るように、相手の心が当人に映るのです。
それからというもの、この人は大丈夫な人と思えるようになったのです。何かの切り替えスイッチが入ったように。
義理の姉の「ノリコも大変ね…」これがヒントだったのです。私は危うく大変な人になってしまいかけていたということ。姉の思いが私に映るところで気が付いたのです。
もちろん、これが最後の親孝行だと介護なさっている方もいらっしゃるので、これはあくまでも私の介護に対する考えで思いです。
弱い母、可哀そうな母を創り出して、私が居てあげること支えてあげることで、幼かった時の母からもらえなかった愛情を自分から取りに行っていたのだと思います。自分が創りだした世界…
非情かもしれませんが、私は母の人生を生きることはできないのです。
そして、昨日は義理の父が救急車で運ばれたと夫から連絡がありました。「俺、沖縄の旅行…やめようかな」とポツリ。つい最近、母とのことを割り切って間もない時にまたしても似たような事案が…です。
「あのね…行ったほうがいいよ。何かあったら…と思う気持ちはよくわかるけど、親の最期に時間があるように自分にも時間があるから」
夫は困惑しながらも、多分…理解していたような、ないような。彼の場合は親とのことよりも、世間体なんだと思うのですが。あとはもし最期に間に合わなかったら…の後悔かもしれません。
私に問われていることは、
『それでもあなたは自分を生きますか?』
なのでしょう… 皆さんが必ず向き合うとは限りませんが、高齢化社会、介護問題など騒がれている中で、このnoteがお役に立てたら幸いです。
たくさんの愛をこめて
Share the love♡Nori