7年前と3年前で

父が亡くなって2〜3年経つと思う。
昨日に納骨をしたのですが、ここは我が家ちょっと変わっている。なんともっと前に、7年前に亡くなったおじいちゃんも同時に納骨した。
これを我が家では“ダブル納骨”と命名。

そもそもなぜ納骨の時期が遅くなったのか、これにはどうでも良い訳が入りまして。
これを俗にいう“あっ忘れてた”“まぁええか”というわけで。

とはいえいつまであるのも良い訳がないので、ここらで一つ親子揃って納骨しようと、叔母さんが計画して、納骨に至ります。

ここで名古屋にスペシャルゲストが登場。名古屋初見参である“甥っ子Sくん(2歳)”
Sくんは初めての名古屋で緊張してたのか、よーく泣いて笑ってました。次君が来た時は君の好きな電車がよく見える、私の知っている特別な場所へ案内しよう。

S君の他にも、近しい親戚が全員集合。
本当に全員は久しぶり。飲み屋でみんなで飲んだあと、叔母さんの家で2次会。そこで父とおじいちゃんの思い出話に花が咲く。

あの親子の思い出

父とおじいちゃんは仲が良いように見えました。
なんというか昭和の長男・お父さんの関係。
ちなみに3代目である私はというと、その中間管理職みたいな。困ったことに互いにおっとりマイペースだからなかなか前進しない。美術館・図書館に行くと本当に帰ろうとしない。だから後ろからケツを推すような。あれは本当に困った。

あの2人の思い出といえば、珍しく親子3代で旅行に行った時。あんまりこの3人でどこかに行くというのは珍しいが、確か東京・岐阜・犬山城には3人で行った記憶があるような。しかし、じぃちゃんは90歳を超えていたとはいえ、車での長時間旅行に耐えれる体力があるのはさすが我が家最強の一角。なんならあの犬山城の階段を当たり前のように登っていたから、本当に頭が下がります。

父はちなみに「体力がない」なんて言いながらそこそこ歩き続ける。なんなら晩年、病院を抜け出して知らないとこまで散歩に行くという、医者激怒不可避な事をやってのけた。
こんな人達の血を継いでる私も、2人みたいな体力を見習いたいです。


あれから7年と3年。

おじいちゃんが亡くなって7年、父が亡くなって3年。別れはしばしば来るものだけど、思い出は尽きない我が家の二次会。S君のお母さんも、実は名古屋初見参で、この話をウイスキー片手に聞いていた。どんな気持ちで聞いていたのだろうか。おじいちゃんがブロックベーに頭をぶつけて翌日耳が良くなる話、父が珍しく弱音を出した話、父と私の喧嘩話等々…

どこかでまた書ける機会があれば良いな、なんて思いつつ、今日もビールを一杯飲ませてもらっています。

まぁあの世でも仲良くしててくれや。

朝6時起きの私の勇姿

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