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未来
20代
20代の自分はずっと焦っていました。今は焦ってないのかといえば、それはそれで落ち着きのない中年ではあるんだけど、20代は先の見えない自分にどうしようどうしようとばかり思っていました。
学校をさぼるのは当たり前で、自分の道は自分で考えろといった放任主義の高校から、予備校を経て、(今思えば)偏差値と知名度だけで入った大学は、すごく真面目な学校(というか学部)で。
どうしてもその空気に馴染めずにどんどん足が遠のき、紅茶専門店でのアルバイトやサークル仲間と一緒にいる方が楽しくなって、当然単位は足りず。学年の数字だけが4をも超えて増えていく。
バブルが弾けた後とはいえ、周囲の友人は三大新聞だ、メガバンクだ、巨大商社だと、まあ誰でも知っているようなところへ次々就職していきます。
自分はこじれた心をねじ伏せながら、どうにかして歳下の人たちと机を並べるんだけど、それもゴールデンウィークが終わる頃にはつらくなって、また足が遠のく。結局、6年だか7年だか在籍した挙げ句に卒業も出来なさそうなので学校を去ることに。
とはいえ、働かないと生きていけません。紅茶専門店とは別に、当時アルバイトしていた小さな小さな広告会社の社長に頭を下げて社員にしてもらい、なんとか社会人としてデビューしたものの、ほんの数年前までは「自分はきっとひとかどの物書きになるんだ」と無邪気に信じていたのに、今は場末の広告会社で、なぞの経歴のじいさんに頭を下げながら少しも興味なんか持てない業界誌ネタの原稿をまとめてる。
夢はあったけど、夢にたどりつく道なんてまったくわからない。それよりも今は、広い世の中でなんとか手にしたこの席をどうにかして守らないと……
こんなはずじゃ、こんなはずじゃ、こんなはずじゃ
って、何度も思ったし、
俺は何者でもないんだ、俺は何者でもないんだ、
って、なんとか謙虚になろうとつねに自分に言い聞かせていました。
20代はずっとその繰り返し。
謙虚に見せかけた卑屈者で、自信家に見せかけた傲慢な小僧。
歌のように救いがある人生だったら良かったんだけど、今、あの頃の自分に会っても『勇気をつないでいけ』とも『最後には笑える日が来るから』とも絶対に言えないだろうな。
せいぜい、人生厳しいなって一緒にあきらめの笑みを浮かべることぐらいはできるかもしれないけど。
未来
だからこそ、こないだ新宿ReNYで藤田愛理さんが、伴奏もなく、照明もなく、スポットライトの下で歌い上げてくれた「未来」が胸に強く刺さるんです。
心のなかに「声にならない声」しかなかったあの頃。今も当時の気持ちを声にすることなんかできません。自分のまわりに音も光もなく、それでも心のうちには「何もないわけじゃない」
すごく居心地の悪い感覚。
2022年8月21日
あいたんしか映し出されないステージの上で、全身の細胞一つひとつから懸命に絞りだして歌声にして、届けてくれた「小さな幸せあれ」
25年前の自分に届けてやりたい。
むしろ、あのとき、あの客席にいた瞬間は、もしかしたら25年前の自分に一瞬戻っていたかも。あんなに素晴らしい歌声と表情に触れられれば、未来に少し希望を託せるかもしれません。
ここまで書いてきて、25年前って前世紀じゃん!?ってビックリしてる自分がいるんですが(笑)、多くの年寄りがよく言うように、中身は全然変わってない。いや、卑屈で傲慢というのは変わっててほしいけど(笑)。
あいたん、ありがとう。
まだ湧いてくる力が残ってるみたい。これからも一緒に頑張っていきましょうね。