「一味同心」は百田夏菜子とももクロの決意表明か/「僕らの証」(CROWN POP)との対照考察
「戮力協心」なんていう四字熟語、初めて聞きました。そんな言葉あるんですね。
絆を糧にチームとなって未来へ歩んでいくことを歌う「一味同心」に、そしてももクロにピタッとはまる言葉です。
一方で「戮」なんて字をよく使ったなというのも偽らざる印象で、もちろん今となっては辞書を見て「戮力協心」が力を合わせることを示す熟語であることは認識していますが、歌詞をパッと見た印象ではやはり「戮」の字にギクッとしたわけです。物騒な印象しかなかった漢字なので。
そう思うと、これは百田夏菜子自らが作詞したからこそ使えた、そんな言葉なのかもと思わなくもありません。もしも外部の作家さんによる詞であれば、アイドルの楽曲に対して「戮」が入る言葉は避けるような気がします。
もちろん自分は作詞家ではないし、やってる仕事は全然違うけれど、自分がいろいろな企業とお付き合いする中でも「戮」は使いづらいというのは率直な印象。よほどのことがなければ、自分の仕事に使うことはない漢字です(まあ使う機会もないだろうけど……)。
でもそれって見方を変えて考えれば、作詞家百田夏菜子はそんな漢字を使う覚悟を纏うぐらい、「戮力協心」じゃなければいけないぐらい、この「一味同心」に対して、力を結集してともに何かを目指すことの重さ・尊さを込めたかったということなんでしょうね。
あーりん、れにちゃん、しおりんのソロが繰り返されてからの声を重ねての「僕たちなら..!」
僕ではない、僕たちであることの強さ、そこに向けた覚悟や想いが伝わってきます。
「僕」ではなく「僕ら」であることの強さを歌ったという意味ではCROWN POPの「僕らの証」もまさに同様のテーマを扱っています。
夏バカには行ってないので今回の配信で初めて「一味同心」をしっかり聞いたのですが、正直初めて聞いた印象は「これは、『僕らの証』じゃないか?」でした。もちろん曲も詞も全然違います。あくまで主題の話。
これまで、いわゆる「マー君曲」は一貫してこうした「絆」や「友情」といったことをテーマにしてきましたし、アイドルの楽曲においてこうした「僕ら曲」というのは普遍的なテーマでしょうから、それが重なること自体、さしてめずらしいことではないでしょう。
それでも、自分がよく聞くグループの最新曲がバチッと「僕じゃない、僕ら(僕たち)」というテーマで重なってきたのにちょっとビックリしてしまいました。
ただ、この2曲(「一味同心」と「僕らの証」)、よくよく聞いていくと同じテーマを扱っているようでいて、描いているものは随分違うようで、それは歌詞の中身だけではなく、歌唱の構成にもその差が見えてきます。
「一味同心」に歌われているのは、前述したように力を結集した「チームの絆」です。マー君曲に限らず、「Zの誓い」なんかもありますし、TDFの看板を背負うももクロの最も得意な領域かもしれませんね。僕たちは何度、このチーム感に目頭を熱くして、そしてこれから何度涙をこぼしていくのでしょうか。
光だけを浴びてきたわけではない、ももクロのこれまでの歩み。陰に立たざるを得ない日があったかもしれません。強い風に心挫けそうな日があったかもしれません。それでもそうした苦闘さえ成長の力に換えて、絆を深め、そして今ここに立つももクロの姿がよく現されているように感じます。
そこに浮かび上がるのはTDFの強さ。あるいはマー君とチームメイトの絆。さらには自分と周囲の人々の仲間意識。ちょっとやそっとじゃ崩れることなんかない、強い強い「チーム意識/team consciousness」です。
一方でCROWN POPの「僕らの証」はチームよりもあくまで一人の「君」を見ているように感じます。
「一味同心」がチームメイトの複数の”you”を対象としているのに対して、「僕らの証」が描くのは単数の”you”(あくまで自分なりの印象です)。
里菜の心の芯を感じさせるような凛とした声と雪月心愛の相手への切なる想いを感じさせる1サビ、三田美吹の怒濤の歌唱とそれに呼応する田中咲帆の力強い歌声が迫力を持つ2サビ、そこから連なる楽曲後半。そして、力強い波がおさまったあとの凪を思わせるような藤田愛理の情感あふれる落ちサビ。
「僕らの証」はソロを歌い継ぐ形で楽曲の基本的な構成がなされていきます。
そこには、メンバー一人ひとりの想いが「君」に向けて届けられるようにといった、そんな願いが込められているようでさえあります。一人の「僕」と一人の「君」が声を合わせて「僕ら」になる。かけがえのないそんな一つひとつの関係にフォーカスして絆を描いているように聞こえてくるのがクラポの「僕らの証」です。
ふたたび「一味同心」を振り返ってみると、これはももクロの基本スタイルでもありますが、1番、2番のサビはユニゾンで構成されています。ももクロらしい、爽やかで力強く、そして心地よい響き。1人ではなく4人で力を合わせるからこそ生まれる美しい姿がそこに現れています。
絆のベクトルが外に向くのではなく、内に向く。
この曲において「僕たち」は「夢見る景色」を「一緒に見に行」く、目的を一にした仲間であると言うことができます。
「僕らの証」における「僕ら」は、「夢がひとつ叶うその度」に絆を証明してみせる関係。何か具体的な目的があるわけではなく、すなわちゴールが設定されているわけではなく、これからずっと「同じ時間を紡いで」行く。そんな関係性が透けてみえます。それはもしかしたら、聞き手である我々に”ともに生きること”をイメージさせるかもしれません。人と人のすごく根源的な関係性です。
「一味同心」が、具体的に描く目的に向けて苦楽をともにし、戮力協心していく仲間を歌う“One for all , All for one”の歌だとすれば、「僕らの証」はどんな小さなことだとしても、夢を叶える度に絆を確認しあい、未来を導いていく相手を歌う”You and I”の歌である。そんなイメージ。
どちらも相手との絆を想う、唯一無二な素晴らしい歌であることに間違いはありません。ずっと歌い続けていってもらいたい名曲です。どちらの曲が良いとか悪いとか、そんなことはまったくなくて、ここまでの話は、ただ「違うね」というだけの話です。
もしかしたら、ファンコミュニティのスケール的に相手の「個」を想うことにリアリティを持たし得るCROWN POPに対して、(想いはあれど)もはやファン一人ひとりを見ることにリアリティを持たせづらくなっているももいろクローバーZという差異も、僕がこういう感想を抱く背景にはあるかもしれません。
もちろん、ももクロの4人だって一人ひとりのファンを大切にする心は絶対に変わってないですけどね。
同じ主題を持っているように感じられた「僕らの証」と対照することによって、「一味同心」のチーム感、仲間との絆、未来への決意があらためてはっきり浮かび上がってきます。
ももクロがこれまで培ってきた歴史、物語があるからこその「一味同心」。それを百田夏菜子が自らの筆で物し、そして曲を当てたということには大きな意味があるのではないでしょうか。
誰かが語るももクロではなくて、自らがももクロを描いて、「何かやらなくちゃ」とチームの心をつなぐ。
「一味同心」は4人の新たな決意が示された一曲に感じられました。
これから先、ももクロがTDFとともに描く未来。どのような夢をともにできるのか。
クラポがともに歩んでくれる未来とともに、ももクロとともに描く未来にもわくわくが止まらないですね。