“安全”の存在しない世界での生き方。
※弊社の方針とは関係のない個人的なブログです
この頃は感染症の流行のために、情報が偏っている気がする。
SDGsを考える上で、今日のようなパニック的な状況は、非常に特別なことで、大きな壁の様にみえる。私はもともと肺に疾患があるし、難病も抱えている。感染の抑制が無理であることを認めることは、非常につらい現実を目の当たりにさせられている感覚に陥る。
けれど、こうなってしまったものは仕方がない。
まず、感染を予防するために必要なことは、感染した人を隔離するのではなく、守りたい人を隔離するほかに方法はない。学校の休校は良い判断であるし、緊急事態に相応する環境での方針を打ち立てる時間的確保が可能となる。
現段階は、安全ではない環境の初期段階であり、人間がパニックを起こしやすい状況である。危機管理意識が強く働いているため、まず状況の把握に躍起になる段階である。
次に来ると予測される段階は、現状に疲れてくる(or慣れてくる)、中期段階である。危機的状況への向き合い方に差が生まれ始め、それにより、人の善悪が多様化してくる。言葉やストーリーを無闇に用いた差別意識が生まれてくる段階である。
それがどのような世界なのか。
例えるなら、今の現状は、私が障害者福祉の分野で試行錯誤していた頃の感覚と似ていて、こうすれば安全というものの存在しない世界である。
それがどういう世界なのかを理解するために、大きく二つに分けてみる。
一つ目の世界観は、
■命を守りたい世界観
命を守るためには、守りたい者を隔離する他はない。
しかし、それにより“社会性”が失われるという二次的障害が待っている。養護学校卒業後、福祉施設でずっと暮らして来た人たちの悩みや希望は底知れないものがあるし、情報リテラシーの低さは施設内の平穏に貢献するが、新たな情報を拒絶しがちになる。それは規律を乱さないためには一人の反乱も許されないわけで、人々が不安定にならない情報を選択しておかなければ完全なる“安心空間”は保たれない。だが次第に外側と内側という壁が生じ、閉塞感から脱落していく者も現れる。その時の受け皿というものの確保も必要となる。
つまり、上質な精査された情報を提供出来る環境づくりが鍵となってくる。悪質な情報を振るい落とすことは、現在のテクノロジーを上手く配備すれば可能ではないだろうか。
もちろん野性的本能は失われるが、外の世界とそれほど替わらない情報の入手は可能である。学びたい人・繋がりたい人の心の自由は、ある程度保証できる時代だと言える。
もう1つの世界観は、
■行動の自由を守りたい世界観
外の暮らしを選べば、社会の目や事故など心身に関わる問題に必ずぶつかる。例えば養護学校を卒業後、障害年金と福祉サービスを利用しながら社会で暮らして来た人の緊急時への不安感は拭い去れないし、不便さは計り知れない。出し抜かれないようにするには? 損をしないようにするには? そういった思考が常に脳内を巡り、平和を信じられなくなる。平和=安心という大切な事が、見えなくなってしまう。
だが、信じるものを自ら選択できるという環境は代えがたい価値があるし、その姿はなんとも野性的である。
常に自分に必要なサービスを受けられる様、自分をコーディネートしてくれる存在が必要であり、お抱え相談員のような存在を利用しながら、安心感を得られる生活へと努力していく必要がある。
このような障害者福祉の世界観は、実に存在しているし大げさでも何でもない。彼らはこれらを選択為ざるを得なかったし、両方の世界を行き来出来た私には、そう見えている。だから私は彼らを尊敬しているし、人生観の多くは、彼らの言葉や生活の中から学んできた。
本題に戻る。
私たちは今、どうするべきか。
まず、日本は民主主義国家であるということが条件としてある。そこで一番大切にしなければならないことは、“選べる”ということだ。
命を守る世界観では、規律重視である。
管理されながら、閉鎖的だが安全な環境での厳しい規則に則って生きて行くのか。
・学校はどうするのか、通わない選択をした者にはビデオ配信などでの出席を認める規範を作らなければならない。
・会社はどうするのか、ビジネスそのものが必要のない社会システムを作らなければならない。
・電力や水、物資の供給はどうするのか。均等に、出来るだけ自由意志というものが尊重されるよう、供給システムの構築を急がなければならない。
・文学や芸術などで、心を豊かにする学びが必要となる。
行動の自由を守る世界観では、人間の行動が精査される。
・生活はどうするのか:社会サービスの充実と活用方法を明確にすることが必要となる。また、公の立場でコーディネートをしてくれる機関・人材が必要となる。状況が傾いてくると、誰かの所為にしなければ、自由の獲得は維持出来ない。人々の心身の安定を維持できる様、生活必需品の供給が上手くいっているか、警備の目の強化対策を図らなければならない。
・感染したらどうすれば良いのか:医療崩壊をしてしまうと、お金で多くのことが解決できる世界では、どうしても弱肉強食となる。まずは、国民全員の検査を実施し、状況を把握したのち、患者の緊急度によって対応を分けるという、医療崩壊しないためのSOSの出し方を設ける必要がある。
・孤独とどう付き合うのか:同じ価値観・趣味などで繋がれたコミュニティづくりをしていく必要がある。いざというときに頼れる小さな仲間は、精神疾患の予防にも必要である。
・心の豊かさより、環境やノウハウが重要視される:感染の有無、または免疫の有無で差別される可能性があり、風当たりの厳しい社会環境での尊厳の維持は、ともすれば争いを生むこともある。
このように、国の取るべき施策は、二分化しなければ困難であるが、感染予防の日々は、収まると思っている人がいる限り、方針を立てられない。
こうすれば安全というものの存在しない世界を、まず認める事が必要である。
状況をしっかりと受容できれば、つまり、どちらの世界観で生きていくのかを自分で選択できれば、“これからもずっと続く不安”は、次第に人間と共存できるものである。
あなたは、どちらの世界で生きていくの?
※簡単にどちらの世界が自分らしいのかを判別できる方法はあるけれど、まずは自分で選択をしてみて欲しい。
※弊社の方針とは関係のない個人的なブログです
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?