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球磨川流域を訪問して
前回の投稿では、災害が頻発するエリアで、それでもなぜ人はそこに住み続けるのだろう、という疑問を投げかけた。
それは「ふるさと観」が影響しているのではないかというぼくなりの考えを述べた。
球磨川流域調査について、報告の続きをしたい。
被災ということと、あたたかい人々ということ
案内いただいている井手先生(山都町教育長)が、しきりにSNSをチェックしている。
「この辺りのうなぎ屋さんの駐車場で、炊き出しをしているようなんです。行ってみましょう」
ようやく探し当てて炊き出し会場に行った。
あちらこちらで元気な声。いい匂い。
井手先生は有名人だから、あちらこちらで声をかけられる。
そのたびにみなさんに、ぼくたちのことを紹介してくださった。
「奈良から、研究調査にこられた先生方です」と。
熊本地震のときもそうだったが、被災地で研究、とか調査、とか、被災地を前にして本当に今必要なのかということも考える。
だけど、ぼくたちは自分たちの専門性を生かして被災地に真摯に関わっている。
これからの人々の命につながるようにと。
そのことを感じてくれているから、井手先生はいつもぼくたちをあちらこちらに連れて行ってくれるし、研究の題材を提供してくれるのだろうと思う。
そのたびに、絶対にお役に立てる研究がしたいと強く思う。
結局ぼくたちは、炊き出しをお昼ご飯にしてしまった。
ぼくたちは被災者ではないのに、炊き出しをしているおばさんが、いろいろと持ってきてくれる。
焼き鳥、カレー、おにぎり、おまんじゅう・・・。
しきりに恐縮したが、食べ物と一緒にイベントのチラシや名刺を持ってきてくれた。
それぞれの「運動」を、どうにかして広めたいという思いを感じる。
少しでも、お役に立たなければと思う。
球磨川流域は衝撃的な被災状況だった。
ぼくたちは何度も車を止めて、写真を撮った。
以前紹介したように、ぼくが勤める大学の学生の実家が被災した。
その学生は気丈に振る舞っていたが、ぼくたちが車を降りてみたエリアのすぐそばだったことがわかった。
よく気丈に振る舞えたと、心から感心させられた。
道中、ボランティア基地を訪れた。
Open Japan
彼らは、被災地を訪れてはボランティア活動を展開している。
こういう人たちによって、救われる命、救われる心があるのだろう。