人生のデフォルト【育児うつとかミッドライフクライシスを体験して】
昨年の今頃(秋〜冬にかけて)は、育児の疲れやミッドライフクライシスが重なりうつ状態でした。徐々に前を向けるようになってきた過程で、このマンガが生まれました。
①授乳で眠れない
②保育園に入れず母子2人生活の閉塞感
③子どもが歩かない、食べない
④家が1DKで狭い
⑤家がエレベーター無しの4階
⑥子育てにかかるお金が心配
⑦もう母親なのに何者にもなれていない自分
⑧周りのママたちがキラキラして見える
去年、抱えていた問題は人に言える範囲で、こんな感じです。
ここに拍車をかけるのが、
「あそこのおうちはいいなあ…。うちなんて…。」
という人と比べる気持ち。
うちは、たまたま団地の空きがあって東京の素敵タウンに住めているのですが、素敵な街にはキラキラした人たちが集まります。というか、当時うつ状態だった私にはそう見えていました。今では、「みんなそれぞれの苦労がある」と思えるのですがうつ状態というのは恐ろしいもので視野が狭まってしまう。ものごとの一側面しか見えなくなるのですよね。
みんな素敵で素敵な人生を送ってて、私は全然だめ。いったん、今を否定すると、あのときこうしていれば…あのときにこの選択をしていれば…そうすれば今ごろ素敵な母親になってたのに。という後悔がぐるぐる頭の中を回るのです。
そして、頭の中で何度もタイムリープして過去をやり直しているシュミレーションをするのですが、過去に戻れないという事実に気づき絶望するのです。
絶望した次にくるのが、
「人生のリセットボタンを押したい。」
100の問題を0にしたくなるとき、ひとは人生を終わらせようという考えに至るのです。
しかし子どもはかわいいし、とりあえずリセットボタンを押すのを踏みとどまり…
春を迎えて、少し変化が訪れました。
①授乳で眠れない→卒乳して寝られるようになった
②保育園に入れず母子2人生活の閉塞感→無認可の保育園に入れた
③子どもが歩かない、食べない→歩いた、食べるようになってきた
夜寝られるようになり、少しずつ気持ちが回復してきました。睡眠をとれないと生きていくためのエネルギーが枯渇するのだな…。
自分の時間がとれるようになったこと、子どもが歩き出したことも大きかったです。辛い状況の渦中にいるとき「これが永遠につづく」と錯覚するのですね。状況は刻々と変化するのだと気がついてきました。
いやいや、まだこんなに問題が残っているよ…。(という心の声がきこえる)
④家が1DKで狭い→変化なし
⑤家がエレベーター無しの4階→変化なし
⑥子育てにかかるお金が心配→変化なし
⑦もう母親なのに何者にもなれていない自分→変化なし
⑧周りのママたちがキラキラして見える→変化なし
だがしかし、私は睡眠によりエネルギーを取り戻して気持ちだけは明るくなり、穏やかな気持ちで問題と向き合ってみると、
④家が1DKで狭い→家族みんなが近くにいて楽しい
⑤家がエレベーター無しの4階→運動になるし、子どももいずれは自分で歩ける
⑥子育てにかかるお金が心配→これから働いて貯金すればいい
⑦母親なのに何者にもなれていない自分→自分はもう自分だしそれでいいではないか
⑧周りのママたちがキラキラして見える→それぞれ人生を歩んでる。私は私を生きればいい
こんな感じに捉え方が変わっていきました。
それに問題や不安は生きていけば常々発生するのではないかな。問題が少し減って90になったり、300になってどん底に落ちてみたり、60くらいでまあまあ穏やかと思えたり…。
もしかして、0になるというのは、生きることから卒業した瞬間に訪れるのはないか。そう思うと問題や不安を抱えながらもがきながら歩みをすすめることこそが、生きているという証拠なのではないだろうか…。
とりあえず、体というものをもらってここに生きているということ自体がラッキーなことであると気づきながら、悲しさや辛さをも体があって生きているからこそ感じられるのだよなと思い、それでもやっぱり毎日楽しく過ごすということは諦めずにすすみたいものよなあ、と思ったのでした。
マンガだけでは伝えきれない気がして、今日は文章も書きました。マンガだけでもいいのかもわからないのですが、表現も試行錯誤ですね。長文最後までお読みいただきありがとうございます。
悩みや不安と共存しながらも、すすんでいくことが人生のデフォルト。エネルギーが枯渇すると飲みこまれる…。立ち向かっていくには明るい気分が必要です。だからみなさんお布団でよく寝ましょうね…。寝冷えせぬようレッグウォーマーがおすすめですよ。