小説「魔法使いのDNA」/#006
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恭輔
親父の弟、つまり叔父さんも音楽好きだ。
若い頃はベースを担いで半年くらいジャマイカに住んでいたことがあるらしい。
その頃、ジャマイカでは日本のアニメの「ドラゴンボール」が流行っていて、日本人なら誰もが武術に長けていて、カメハメ波を出せるものだと信じていたそうだ。だから、ふざけてカメハメ波のポーズを取ったりすると、こんなところであぶない真似はやめろと本気で両腕を押さえて止められたという。
陸上では有名な選手がいたが、協調性がなくて自分勝手な人が多いので、ボブスレーは別として、ジャマイカ人は団体競技は苦手なんだと聞いていたので、まさかサッカーのワールドカップに出場する日がくるなんて思ってもみなかった。ましてや日本と同じグループだなんて、と興奮気味に話すのだけど、どちらも遠い昔のことなのでオレにはちっとも実感がない。
ジャマイカの若い男の子はとても純情で同性愛に異常に反応する。
叔父さんがジャマイカにいた頃、トム・クルーズとブラッド・ピットと出演するドラキュラの映画があったのだけど、それがジャマイカで上映された時は大騒ぎだったらしいなんて話も飲むとよくする。
「慎太郎は理屈っぽくてちょっと難しい奴だけど、お前はテキトーで好いな。」と叔父さんはどちらかというとオレのことをひいきにしてくれている。
叔父さんはベーシストで、特に楽器に触っている時は、眉間に皺を寄せて難しそうな顔をして、職人風で頑固そうに見えるけど、実は大雑把で好い加減で全然中身は職人ではない。難しい顔をしている時は大抵はトイレに行きたいのを我慢しているらしい。
叔父さんの職業は小学校の算数の先生である。こんなテキトーな先生に算数を教わったら一生が台無しだなとオレは思うのだけど、テキトーな自分だからこそ、算数を、勉強を、子どもたちに嫌いにさせずに、主体性を持たせた活きた教育ができるのだとうそぶく。
そんな叔父さんをオレは嫌いではない。
オレは高校時代はバスケットボール部に所属していた。
やはりこれも兄貴の影響だ。兄貴もオレも小学生の時からミニバスをやっている。
両親は子どもたちに何でもいいからスポーツをやらせたかったらしい。
サッカーは幼稚園、あるいは小学生の低学年からはじめている子が多く、運動の得意な子ならばいつからはじめても構わないのだろうけど、のんびりしているうちの兄貴にはハンデが多すぎると思ったのだそうだ。
野球は家族は誰も好きじゃなくてほとんどテレビでも見たことなかった。
たまたま地域のミニバスのチームが通っている小学校をメインに練習していた。空手かミニバスで迷った末にミニバスになった。
兄貴とオレは年齢が5つ離れている。兄貴が6年生の時にオレが1年坊主で、ミニバスは1年生の時からはじめた。特別バスケが上手かったわけでも、好きだったわけでもなかったのだけど、何となくやめるきっかけもなくて、それ以来、高校3年の春までやり遂げた。
高校3年生の夏休み、部屋で一人で受験勉強をしていた。勉強の合間の休憩時間にギターを弾いて歌っていたら、誰かがトントンと窓を叩く。庭に面した窓を開けて外を見ると叔父さんがスイカを持って立っていた。
「スイカもらったんだけど食べ切れなくて、お前と一緒に食べようと思って持ってきたよ。」
叔父さんは果物が好きで昔からよく果物を持ってうちに来る。
「お前、好い声してるな。バンドとかやってるのか?」
「晃さん、オレ受験生だよ。」
叔父さんは晃司という名前だ。
「そうか、じゃ大学へ行ってからは音楽やるんだろ?それとも大学でもバスケやるのか?」
「いや、大学でバスケやるほど上手くも好きでもないんで、音楽。たぶん。メイビー。」
とオレは言った。
「あれ、それ、あんちゃんのノートじゃねえか。」
晃さんは、オレが広げているノートに気がついた。そして晃さんは親父のことを昔からあんちゃんと呼んだ。不思議なことに親父と晃さんも年齢は5つ違いだった。
「もしかして、オリジナルの曲を作ってるのか恭輔?」
と今度はオレのことを名前で呼んだ。
「あんちゃんの歌詞で。」
うれしそうな、悲しそうな、眩しそうな、不思議な表情をした。
晃さんが「おい玄関開けてくれよ」というので、玄関にまわってドアを開けると、晃さんは家にあがり、勝手にキッチンに行くとスイカを切って、食器棚から手頃な皿を見つけて、スイカをのせて部屋に戻ってきた。
スイカの皿をオレの机の隅の方において、一切れを自分で取ると食べながら話を続けた。
「恭輔、やっぱりアレか?レゲエか?」
「晃さんから借りたのは聴いてるよ。でも、ロックも聴くよ。」
「どんなのを聴くんだい?」
「デビッド・ボウイとかレディオヘッドとかかな。」
「そうか、やっぱりあんちゃんと趣味が一緒だな。」
スイカを一切れ食べ終わると机の上のティッシュを「もらうよ」といってシュッと抜き、口の周りを意外と丁寧に拭いた。
「勉強してたんだろ?数学教えようか?」と聞いた。
「いや、数学は試験科目にないから。」
オレも一切れスイカを取ると「いただきます」と小声で言ってあまり上品ではなくかぶりついた。
「実は今日はライブハウスに誘いにきたんだ。昔々、まだ恭輔の生まれるずっと前、叔父さんがあんちゃんたちとバンドを組んで音楽を演ってた時に出演させてもらってたライブハウスがあるんだけど、理由は知らないけれど何年か営業してなかったんだけどさ、新装開店でまた営業再開することになったって。で、昔、出演していたバンドに出演依頼が来て、うちはあんちゃんのバンドだったから、あんちゃんがいない今、当然引き受けることはできないんだけど、当時の知り合いのバンドがいくつか出演するので、顔だけ出してみようかなって思ってるんだよ。それで恭輔を誘いに来た。」
オレは叔父さんの顔を見ながら、今日これからやろうと思っていた勉強も予定を整理してみた。
「まあ、明日頑張ればいいから、今日は勉強サボって行ってみても良いかな。」
記憶に刻まれていない親父の思い出を身体に埋め込まれたDNAが求めているような気がした。
ライブハウスには電車で向かった。
親子ほど年の離れた、何となく面影が自分に似ている叔父さんと一緒に居たら、オレたちを見た人はやっぱり親子だと思うのだろうか。
ライブハウスのある駅に降りると、街は明るくて賑やかだった。人混みの雰囲気と人々の服装から、今日が土曜日なんだということを思い出した。
しばらく晃さんと横並びに並んで通りを歩いて行った。晃さんとオレではバスケをやっていたオレの方が少しだけ背が高い。晃さんは昔から相変わらずの職人風で雰囲気はヒョロットしているけれど腕の筋肉は結構なもので、胸板も厚い。黙っていたら神経質な感じで、物静かな雰囲気があるから人となりを知らない人は近寄り難いかも知れない。
オレはそんな晃さんと歩いているとなぜか心が落ち着いた。
ライブハウスは大通りに面していたが、気にして歩いていないと見過ごしてしまいそうな入り口から階段を降りて行き地下にあった。
防音はしっかりなされているのだろうけど、雑居ビル風の古い建物だ。地下のライブハウスに行くのにエレベーターはない。重い器材を運ぶのはきっと大変だろう。階段のところの壁は木でできていて、歴史を感じさせる古いチラシやポスターがベタベタと貼られたままで、それが却って好い感じだった。
階段を降り切ると右に向かって短く通路があって、その突き当たりにライブハウスの防音の分厚いドアがある。通路の壁も階段の延長で同じ素材の木でできていて、そこにもベタベタとチラシやポスターが貼られている。
チラシに混じって何枚もの写真が貼られているが色あせている。
その写真の中の一枚に見覚えのあるものを見つけた。
黒い帽子をかぶったTシャツ姿の男性と白っぽいワンピースを着た女性が中央に居て、その後ろにギターを持った男性が立っていて別の男性と話している写真。サイズは少し大きいけれど、オレの家のリビングにある本棚に置かれている写真と同じ写真だ。
「親父。」オレはつぶやいた。
叔父さんに声が聞こえたらしく、叔父さんは後ろを振り向くとオレの視線の先を見やった。そして、その写真に気がつくと、「あんちゃんだ。ヨーコさんも。懐かしいなあ。」と眩しそうな顔をした。
いつも家で見ている写真のはずなのに、こうして別の場所に貼られているのをみるとなぜか懐かしい思いをオレも感じた。
写真の場所から離れようとしない叔父さんを置き去りにして思い扉はオレが開けた。ライブハウスの中のBGMの音が大きくなり、差し込む光りに埃がキラキラ光った。中に入るといかにもロックやってますという感じの少年が居て「いらっしゃいませ」と言った。
オレの肩越しに晃さんがチケットを2枚差し出すと、少年はそれを受け取って半券を返して寄越しながら「ドリンクバーでドリンクと引き換えてください。」と言った。
晃さんと二人、ドリンクバーでチケットをドリンクに代えてテーブル席を確保した。晃さんは緑色の瓶に入ったビール。オレは高校生なのでコーラを飲んだ。
時間が経つにつれて、まばらだったお客さんが少しずつ増えてきた。
「よお、晃さん、来てたのか。」
いかにもロックというファッションをした派手な中年の男性に晃さんが声を掛けられた。髪は肩まで伸び、おでこのあたりから頂上に向かって薄くなって地肌が透けて見える。照明の明るくないライブハウスの中だけど色の濃いめのサングラスを掛けていて、目元は見えないけれど、口元の皺や、揃っていない歯の削れ具合、汚れ具合がなんとなく年齢を表している。
「お?銀ちゃん。サティスファクションズは出演するんだ?」
「まあね。久しぶりなんでスゲー楽しみだよ。」
そう言うと、銀ちゃんと晃さんが呼んだサングラスのおじさんはオレの顔を覗き込んだ。息が少しタバコ臭かった。
「晃さんの息子?」
「いや、兄貴の忘れ形見さ。」
「ああ、リュウさんの子どもか。そういえばソックリだね。いくつ?」
「17歳、高校3年生です。」オレがそう答えると、
「受験生だよ。」と晃さんが付け足した。
「音楽はやらないの?」銀ちゃんがオレにそう聞いた。
「大学入ったらやります。たぶん。メイビー。」と答えると、
「メイビーね。」と銀ちゃんがニヤニヤして言って、
「こいつ、結構、歌うまいよ。声がいいんだよね。」と晃さんが言った。
銀ちゃんは、「へえ、それは楽しみだな」とニコニコして晃さんの言葉にうなずくと、後ろを振り返って「こっちこっち」と誰かを手招きした。
黒いTシャツに黒い細いジーパンを履いたひょろっと背の高い、オレと同年代の少年が近づいてきた。
「お互いに年をとるはずだよな。これ、うちの息子、怜。」
と紹介すると、
「怜です、こんばんは。」と挨拶をした。
「今年から大学生になった。」と銀ちゃんが付け加えた。
「怜くんはバンドは組んでるの?」
晃さんが少年に質問をすると、銀ちゃんが代わりに答えた。
「俺のバンドでゲストでギター弾かせてるけど、友だちとバンド組んだりはしてないみたいだな。なあ怜。」
怜少年は苦笑いしながら「中々一緒に演りたいと思うメンバーがいなくて。」と言った。笑うと八重歯が一本飛び出して、親父さんの八重歯と似てるのかな?親しみやすい雰囲気だった。
「オレ、恭輔と言います。」
案の定、オレたちはすぐに親しくなった。
「オーイ、銀。」と遠くから銀ちゃんを呼ぶ声がした。
「おお、今いく。」と銀ちゃんは答え、オレと晃さんに向かって、
「そろそろ準備しなくちゃ、今日はトップバッターだからさ。」と言い、怜の肩をトントンと叩き「じゃ、またあとで」と言った。
怜少年は何も言わなかったが、まあ見てろよ、と目でオレに語ると、銀ちゃんの後に続いて楽屋の方に歩いていった。
しばらくの時間、他愛もない話をして、コーラを飲み切って「もう一杯飲もうか?」と晃さんが言ったところで、会場のBGMがフェイドアウトして照明が暗くなった。ステージ上に銀ちゃんと銀ちゃんのバンドが登場した。
暗い中、ドラムのスティックのカウントが4つ聞こえると音の洪水とともにスポットライトがついてバンドのメンバーがステージに浮かびあがった。最初からビートの利いたノリの好いロックンロール。
1曲終わると銀ちゃんがお客さんに向かって挨拶をした。サングラスは外していた。結構可愛い子どもっぽい目をしていた。サングラスをしていない方が若く見える。
「皆さん、こんばんは、サティスファクションズです。今夜は四谷ピンクドラゴンが営業を再開したということで、何年か振りにこのステージに立てたことを本当にうれしく思っています。」
時々MCを挟みながら銀ちゃんのバンドは聞いたことのあるヒット曲を数曲演奏した。めちゃくちゃ上手いとも思わなかったが、さすがに年季が入っていて味のある演奏だった。
「思えば、俺たちがはじめてお客様の前でライブを演ったのは、実はこのライブハウスでした。かれこれ、あれから20年経ちます。ここでライブをやらせてもらい出した頃、俺も若かったので、ファンができると早速にファンの女の子をナンパして、そして子どもができて結婚しました。」客席が笑いに包まれて、銀ちゃん、スケベ!とかヤジが飛んだ。
「その時の子どもがもう大学生になりました。紹介します、俺の最愛の息子、怜です。」
そして、怜がステージに登場した。
全身黒の服に包まれて長身の怜がレスポールのギターを持つ姿は迫力があって、様になっていた。
演奏がはじまって、怜がギターの音を出すと、オレの脳天から身体の中を稲妻が突き抜けた。わがままで、シャープで、そしてブルースな、一度聴いたら忘れられないギターの音だ。
そして、これがオレの人生にとっての運命の出会いだった。
オレが女だったら「魔法にかかっちゃった」とか言うんだろうか。
#006を最後までお読みいただきありがとうございます。
#007は2/27(月)に配信します。
次回もどうぞよろしくお願いいたします。