小説「魔法使いのDNA」/#013
13
恭輔
瞬く間に秋は過ぎて、冬になると怜からの連絡がなくなった。
オレはいよいよ受験勉強に集中していた。
1月にセンター試験を受けた。
2月には本格的に大学入試のシーズンになった。オレはなんとか4月からの自分の身分を決めることができた。
オレは進路が確定したことを怜にラインで知らせた。
怜からのメールの返事はなかったけれど、代わりにスマホに直接電話があった。
「おめでとう、良かったな。お祝いしたいんで、恭輔の家に行ってもいいかな?」
「散らかってますけど。」と答えると、
「構わないよ。」と言って電話が切れた。いつ行くとはなかったけれど、言葉が少ないのはいつものことだ。
小一時間程するとオレの部屋の窓がコツンと叩かれ、カーテンを開けると怜が立っていた。
窓を開けると、「ラーメン食いに行こうぜ。」と言った。
時間は午後の3時だったので中途半端だったけど、11時に朝食とも昼食ともつかない食事をしていたオレにとっては、丁度小腹が空く時間でもあった。
ラーメン屋は案の定空いていて、カウンターにスーツを着た若いビジネスマン風のお客さんが居るだけだった。
店長は厨房の中を軽く掃除していて、おばさんはカウンターの端の方に座って、伝票の整理らしきことをしていた。
オレたちが店に入ると、店長とおばさんは「いらっしゃい!」と威勢良く言った。
テレビが見えるテーブル席に案内された。
それぞれラーメンと餃子を注文した。
「ずいぶん久しぶりだね。」オレがそう言うと、
「まあ、ここんところいろいろあってな。」と怜は苦笑いをした。
大学生にもいろいろあるんだろう、と思って詳しくは質問しなかった。
「大学合格おめでとう。お酒はないけど乾杯。」と言って水が入ったコップをオレのコップにカチンとぶつけた。
「怜が教えてた受験生はどうした?」
「ああ。なんとか1つ合格したよ。第一志望の大学じゃないけど、そこそこレベルの高い大学。」
「それは良かったね。面目立ったね。」
「まあな。親御さんも喜んでくれているよ。」
ラーメンがテーブルに運ばれるとオレたちはラーメンを食うことに集中した。
「大学の場所は都内だよな。サークルとか入るのか?」と怜が聞いた。
「いや、全然考えてない。」とオレは答えて、最後の一個の餃子を口に放り込んで、「怜は入ってるの。」と質問した。
「1年の時に入ったけど面白くなくて顔を出してない。
辞めてもないけど、辞めたことになってるかもね。」と言った。
「バンドは?ライブハウスとか出てんの、時々?」
「知り合いのバンドとかに頼まれて助っ人ゲストで出る時はあるけど、自分のバンドで出たことはない。」と言った。
最近売れている日本のバンドの曲がCMで流れている。
「こういうのは?」と怜がオレに聞いた。
「ん?興味ない。」とオレが答えると「俺も。」と怜が言った。
「さっきの話の俺が家庭教師をしていた受験生な、もう受験生じゃないけど、俺は勉強もちゃんと教えていたけど実は音楽も教えてた。」と言った。
「女?」とオレが聞いた。
「まさか、違う違う。」と怜は大げさに否定した。
「ま、実は女もいろいろあったんだけど、家庭教師先は男だ。」と胸を張った。
オレは「ふ~ん。」とだけ言った。
「それで、そいつの話に戻るけど、俺はそいつに勉強を教える傍らでベースの弾き方を教えたわけよ。弾き方だけじゃなくてマインドもな。」と親指を立てて自分の胸にぶつけた。
「英語の呑み込みは悪い奴だったけど、ベースの上達は早くてさ、素質があったんだな。」と言って、そいつとか奴とか呼んでいる家庭教師先の元受験生の顔を思い出している素振りをした。
「ベースか。」オレがいった。
「ベースだ。」怜が繰り返す。
「ギター。」と言ってオレは指の先を怜に向ける。
「ギター。」怜はさっきと同じように親指を立てて自分の胸にぶつける。
「ボーカル。」と今度は怜がオレを指差す。
「あとはドラムだな。」とオレが言った。
怜は満足そうな顔をしてオレにこう言った。
「サークルなんて入らずに、俺とバンドを組んでプロを目指そう。親父たちの夢だったことを俺たちが叶えよう。」
4月になってオレは大学生になった。
入学式に出た帰り道、先輩たちからのサークルの勧誘をかわしながら歩いて門のところまで来ると怜が待っていた。
「よお。」
「どうしたの。用事があるならラインしてくれりゃ良いのに。こんなに学生がいるんだから会えない場合とか考えなかった?」とオレが言うと、
「運命の絆はそんな柔じゃない。」と言い切った。
ふと、怜の後ろにいる筋肉質で素朴な感じの男に気がついた。
「彼は?」とオレが聞くと、「ベーシスト」と怜が答えた。
「はじめまして、長谷川と言います。」とベーシストは挨拶をした。
「あ、オレ田村恭介。よろしくね。」と言って、怜に向かって「で?」と聞いた。
「で、じゃないよ。見りゃわかるだろ初練習だよ。」と怜は言った。
怜はギターを背中に背負っているし、長谷川君もベースらしきものが入ったケースを持っていた。
「だから、前もって言ってくれよ。オレがバイトとか入っていたらどうすんだよ。」とあきれたようにオレは言った。
「だって、恭輔、バイトなんかしてないじゃん。」と口を尖らせる。
「はじめたかも知れないだろ。」とオレ。
「はじめたのか?」と上目遣いに機嫌を取るように聞く怜。
「いいや。」とオレ。
「じゃ、いいじゃねえか。結果オーライだ。」と言って振り返り、先頭を切って歩きはじめた。
オレたちのバンドがスタートした。
週一回のペースでスタジオに入って練習をした。
スタジオ代は大学生にはバカにならない金額だった。
オレは本当にアルバイトをはじめなくてはならなくなった。
スタジオに入らなくても、誰かの家に集まって打合せをすることも多かった。
オレたちが遊びに行くと怜の父親の銀ちゃんは大よろこびだった。
よろこんで、「酒飲もう、酒飲もう!」と言ってビールを出してくる。
怜は二十歳だったのでビールを飲んだけれど、それほどは強くなくて、銀ちゃんはいつも自分から言い出すくせにまったくアルコールに弱くて、一口飲んだだけで酔っぱらってしまった。
とんだロックンローラーだ。
相変わらずオレはコーラだったけれど、ある時、銀ちゃんがオレにこういった。
「恭輔、お前、これから本気でプロを目指すんだったらコーラはやめろ。」
その顔が今まで見たこともないような真面目な顔だったのでオレは少しビックリした。
そして、炭酸の入ったものや、極端に冷たかったり、熱かったり、刺激が強くて喉を痛めそうなものは飲まないことにした。
「せっかく、天から与えられたいい声を持っているんだから、大事にしなきゃな。そしてその声でたくさんの人を幸せにしなくちゃな。」
と言った銀ちゃんの言葉を、死んだ親父が言っているかのように錯覚した。
練習スタジオの壁や掲示板に「ドラム募集!」というチラシを貼ってもらった。
何人か応募してきた人がいて、紹介してもらったりもしたけれど、オレたちの音楽に合いそうな奴は中々現れなかった。
仕方がないので、正式メンバーを迎え入れるのはあきらめて助っ人で参加してもらおうという作戦にした。
怜自身が助っ人で他のバンドに参加していたことがあって、バンドの知り合いやライブの時の対バンのメンバーを見ているので、ある程度は目星を付けていた。
オレたちとは全然タイプの違うバンドだけど、リズムのしっかりした心に響くドラムを叩くバンドがあった。
そしてそのドラマーは、女の子だった。
怜が事情を説明してバンドの助っ人としてしばらく叩いてくれないか?とお願いをすると、向こうも怜のギターの腕前を知っていて、「あんたがそう言うなら叩いてもいいよ。」と言った。
そして、自分は本気でプロになることを目指しているけれど、今自分が所属しているバンドのメンバーはプロになるなんて思っていない奴が多くて頭にくることが多い、あんたがあたしの思っているような奴なら正式メンバーになってもいいよとも言った。
前向きだけど気が強そうな子なので、大丈夫だろうかとオレは思ったけれど、ひとまずバンドの体裁は整った。
今までに怜が作った何曲かの曲と、新しくオレが作った曲が数曲、残り半分はコピーで初めてのライブをやった。
大学や高校時代の友だちが何人か来てくれたけれど、お客さんは少なかった。
オレにとっても本格的に人前で演奏するのは初めてのことで、出来がすごく良かったとは思わなかったけれど評判は中々だった。
ライブハウスからも気に入られて、その年が終わる頃には月2回くらいのペースで定期的に演奏するようになっていた。
12月のクリスマスパーティーを兼ねたライブコンサートはオレたちを含めて3バンドの演奏を行なったが、ライブハウスに入りきらない程のお客さんが集まった。
オレたちのバンドは少し話題になっていた。
それにともなって、怜とオレは親友になっていた。
バンドの練習でスタジオに入るお金を稼ぐためにオレはコンビニでアルバイトをした。
大学の授業も割と真面目に出ていた。
その頃、大学とバイトとバンドがオレの生活のほとんどだった。
週に二回くらいはライブハウスが経営している音楽スタジオに入り、バイトも練習もない時にはライブハウスで他のバンドの演奏を見て、ステージの研究をした。
怜はよくオレのうちに遊びにきた。
オレのうちはオレしかいないことが多かった。
親父はオレが5歳になる前に死んでしまった。
親父の残した生命保険金だけではもちろん生活していけるわけがないから、オカンは銀行で契約社員として昼間は働いて、夜は友だちの経営しているワインバーで週に何日か手伝っていた。
女手一つでオレたちを不自由なく大学まで行かせてくれて本当にありがたいと思っているし、苦労しているのだろうとは思うけれど意外と毎日楽しそうにしている。
兄貴は大学を卒業して、就職をしないでアメリカに行った。
大学時代からはじめたジャグリングを本格的に学ぶために、大学4年の時に就職活動をする代わりにアルバイトをしてお金を貯めたのだった。
アルバイトで貯めたお金だけじゃ足りなくて、親父の弟の晃司叔父さんに少し借金もしているらしい。
晃司叔父さんは「慎太郎は将来絶対有名になる、投資だ投資、リスクのない投資だ。」と言っている。
だから、うちにはオレしかいないことが多かった。
オレの部屋で親父の古いCDをかけながら怜と次のステージの相談をしていた。
「新曲を考えたんだ。」と言って怜がギターのリフを弾いた。
そのリフに合う歌詞をオレは考えていたが、どうも言葉が出て来ないので、何か参考になるメモはないかと、いつものように親父の残したノートをパラパラとめくっていた。
ノートは何冊かあって、どれも最後のページまでびっしりと文字が埋まっていた。
オレの肩越しにノートを覗き込んでいた怜が「おい、見ろよこれ!」と言って手を差し込んだ。
怜が手を差し込んだページには歌詞とも手紙ともつかない文章が綴られていた。
「おもしろいな、これ。」と怜が言った。
「どこの電話番号なんだろう。」
「恭輔の親父が書いたんだろう?」
「たぶん。」
「いつ書いたんだろうな。」
「死んでから15年経ってるからね。」とオレが言うと、
「15年か。」と言って話はそこで止まった。
オレたちはまた音楽を聴きながら、怜はギターをボロンボロンと弾いていた。
「今、何時だ?」
怜がオレに聞いた。オレは腕時計を見て時間を確認した。
「8時だけど。」
「そうか。」と言って、黙った。
「電話してみようか?」オレが言った。
「俺もそれを言おうと思っていた。」と怜が言った。
ノートに書かれている電話番号に電話をすると5回目のコールで男の人が出た。
「はい、藤岡です。」
「あの、田村隆信の子どもの恭輔と言いますが、」とオレが言うと、
突然藤岡という人が、「オー、ホッホッホッホ。驚いたな、本当に電話が掛かってきたよ。」と素っ頓狂な声を出した。
藤岡よしみというのは男の人の名前で、電話に出た人が本人だった。
藤岡さんは親父が仕事で懇意にさせてもらっていた音楽プロダクションの社長さんで、藤岡さんが親父の病気のお見舞いに行った時に、親父が藤岡さんにこう言ったらしい。
「僕は病気になっちゃったから、残念ながら長くは生きられないけど、10何年かしたらうちの息子から藤岡さんに、音楽で飯を食いたいんだけどって相談がきっといくと思うから、その時はよろしく頼みますね。」
「で、音楽で飯を食いたいのか?」藤岡さんはオレに聞いた。
「はい。」とオレは答えた。
少し間があって、
「これも彼の魔法か。」とため息のような藤岡さんのひとり言が聞こえた。そして、
「恭輔くんって言ったかな?今、いくつになった。」藤岡さんは、今度はオレに質問した。
「19歳です。」とオレは答えた。
「そうか。今度私の会社に遊びに来なさい。」と藤岡さんはやさしく、力強くそう言った。
運命の歯車がまわりはじめた。
#013を最後までお読みいただきありがとうございます。
#014は4/17(月)に配信します。
次回もどうぞよろしくお願いいたします。
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