小説「魔法使いのDNA」/#015
15
葉子
明け方に目を覚ますと隣に寝ているはずのリュウさんの姿がなかった。
トイレにでも行ったのだろうと思った。
赤ちゃんはスヤスヤと寝ていて起きる気配はなかった。
狭い部屋に布団が、赤ちゃんの分も含めて3組敷かれているので、部屋中が布団で埋まっている感じである。布団を押しのけないとドアさえも開かない。そのドアが静かに空いて、微かにできた隙間からリュウさんが部屋に身体を押し込むように入ってくる。
あたしが身体を起こして、「何時」と聞くと、「5時になるよ。」と言った。
リュウさんはパジャマではなくてTシャツジーパン姿に着替えていた。
あたしがそれに気がついて、
「あれ、もう起きるの?」と聞いた。
「うん、車の鍵はどこに置いたかな俺。」とリュウさんはあたしの質問には答えないで逆に質問を返した。
ああ、ここだ、ここだと棚の上に車の鍵を見つけて、それをポッケにしまうと、
「昨夜、ヨーコが話していた幅寄せの車がまだあるか見に行こうと思って。」と言った。
「こんな早くに行かなくてもいいんじゃない?」とあたしが言うと、
「昼間は昼間で用事があるから。」と言った。
そして「一緒に行くか?」と聞いた。
少し興味はあったけれど、二人で出かけるのは心配だったので、心配をそのまま口にして、
「でも、赤ちゃん起きちゃったらどうしよう。」と言った。
「そんなに長い時間じゃないから大丈夫じゃないか。一応ばあばに頼んでおいてさ。」とリュウさんは簡単に言った。
「こんな朝早くに頼むの悪いわ。」とあたしが顔をしかめると、
「じいじがもう起きてるよ。トイレに降りて行ったら、起きていて庭の植物の手入れをしていた。」と言って声を出さないで笑った。
そんなこんなで、あたしたちは早朝のドライブに出かけることにした。
田舎町で街灯が少ないので夜は真っ暗になる。町が暗いから星が綺麗だ。
でも真夏の5時はすでに明るかった。
日中はやかましい蝉もまだ目を覚ましていないのだろうか、辺りは静かで、時々小鳥のさえずりが聞こえるくらいだった。
早朝のドライブと言っても現場までは車で5分で到着してしまった。
目当ての車は停まっていなかった。
あたしたちは駐車場から少し離れたところに路上駐車をして、現場を眺めた。
「あそこの看板のところに停まっていたの。」とあたしが言った。
「ふ~ん、ずっと停めっぱなしというわけじゃないんだな。」とリュウさんは言った。
周りを観察するように眺めて、そして、
「じゃあ、僕らがあそこに車を停めてみよう。」とリュウさんは言って、静かに車を走らせた。
あたしもリュウさんも駐車があまり得意ではない。リュウさんは三半規管の所為にしてるが、真っすぐに車を停めることが苦手だった。
看板の近くまで行き、ゆっくり車を寄せた。壁じゃないので圧迫感はそれほど感じなくて、通常より大胆に寄せることはできたけれど、それでも数センチの間隔に停めるのは勇気がいる。あたしが見た車はさらにもっとぴったりと寄せられていた。
それでもとにかく、あたしたちは標的の車とできるだけ近い感じに車を停めた。
「なるほど、こんな感じに停めていたわけね。」とリュウさんは言った。
「助手席に座っていたんだよね、その人?」とフロントガラスから見える景色を見渡しながら、「そっちからは何が見える?」と聞いた。
「ほとんど運転席から見える風景と変わらないと思うけど。」と、まず答えて、そして、「道路、電信柱、駅、家、マンション、空。」と言った。
「話し声が聞こえる。」とリュウさんが言った。
もともと人が少ない町の人通りの少ない通りで、早朝ともなるとほとんど人は通らない。時々、原付バイクのギヤを変える音と、走行音が聞こえるのは新聞配達のバイクの音だろう。もう少しすると犬を散歩させる人がいるかも知れない。
耳を澄ましていると確かにひそひそ話が聞こえる。日本語とは違う発音のようで、何を話しているのかまでは聞き取れなかった。どうやら外国人のようだ。
彼らは駅の方から歩いて来て、駐車場の車を見ながら何かひそひそと話していたが、私たちの車に気がついたのかも知れない。無言でその場を通り過ぎて行った。
「怪しげな外国人だったな。」リュウさんが言った。
どんな状況の時でも、リュウさんの声が聞こえるとあたしは安心する。
「でも、こっちの方が不審な車よね。」とあたしが言った。
「こんな通りに面したところで変なことはしないだろうし、景色が良くてロマンチックというわけでもないからね。」と言って一拍おいて、
「不審に思っただろうな。」と言った。
「不審に思ったわね、きっと。」とあたしも言った。
時間にしては数分のできごとだった。
子どもが起きるのが心配だったので特にこれといった収穫のないまま、あたしたちはじいばあの家に帰った。
次の日の早朝、目が覚めたらリュウさんは隣にいなかった。
そっと1階に降りて行くとリュウさんとお義父さんが庭に出ていて、鉢植えに水をやりながら、なにやら話をしていた。
ジョブズがあたしの気配に気づいてやかましく吠える。
赤ちゃんが起きたら大変だと思って、あたしは「し~っ。」と言った。
お義母さんが「あら、早いわね。おはようございます。」とあたしに声を掛けた。
リュウさんが庭からあたしに向かって「おはよう、トイレか?」と言った。
家の外、結構近いところでパトカーのサイレンの音がした。
サイレンに起こされて赤ちゃんが泣き出した。
あたしは慌てて赤ちゃんの寝ている部屋に戻った。
「朝早くから何かあったのかしら、物騒ねえ。」というお義母さんの声が階下から聞こえた。
夕食の時にお義母さんはこんなふうに話を切り出した。
「今朝、パトカーのサイレンが鳴ったじゃない。
なんか、外国人の車窃盗グループが捕まったらしいわよ。」
狭い町で、刺激に飢えた好奇心旺盛な人たちが多い町なのでそうした情報は瞬く間に広がって行く。
お義母さんがスーパーで出会った「沢田のかあさん」とみんなから呼ばれている早耳のおばさんから聞いた話はこうだ。
スバルのなんとかという車種を専門に狙う窃盗グループがあって、U市あたりでは有名で警戒体制が引かれているらしい、県警は連携して付近の住民にも警戒を呼びかけていた。
以前にも実はそんな話を聞いたことがあったが、そうとはいえ、まさかこの町に現れるとは本気では思っていなかった。
今日の早朝のことだ。
駅の近くに10台くらいの車が契約している月極の駐車場がある。
田舎町のことで町のほとんどの人は駐車場を備えた家に住んでいる。
しかし、駅から離れた徒歩では通えない距離に家を持つ人も多い。
多くの人はそのまま車で通勤しているけれど、駅まで車で来て、駅に車を停めて電車で通勤している人も少なくはない。
半分くらいそういう利用のされ方をしている駐車場であり、今は夏休みということもあるし、早朝だったのでポツリポツリと車が停めてある状況だった。
そしてその中の1台が狙われていたスバルの車種のものだった。
3人組の外国人の窃盗団で、一人が見張りという感じで通りの電柱の影に立っていた。
残りの二人が実際に車のところで鍵をこじ開ける作業をする。
プロの窃盗団でさすがに慣れたもので難なく車のドアは開いた。
早朝のことで人通りはまったくなかった。
鍵はないけれど、工具を使ってちょいちょいと作業をしてエンジンをかけた。
駐車場から通りへ出て、見張りの男、もう一人を乗せて、車を発進させようとしたら、急に車が調子が悪くなったらしくてエンジンが止まってしまった。
もう一度エンジンをかけ直そうとしたところが何度やってもうまくいかない。
こんなところで長居をしては危険だということであきらめて車から出て逃げようとしたのだけど、今度はドアが開かない。
それも一つではなくて4つ全部のドアが開かないので3人とも出られない。
そうこうして慌てているところに新聞配達のアルバイトがバイクで通りかかって、あれ、これは尋常じゃないぞ、と思って警察に通報した。
ガチャガチャとやっていたらようやくドアが開いて3人は外に出られたのだけど、丁度外に出て逃げ出そうと思ったところに警察官が到着した。
二人はその場で捕まって、もう一人は捕まらずに逃げ出したんだけど、犬の散歩をした人が通りかかって、その連れていた犬が、立ち上がると大人の背程もある大きな毛むくじゃらの洋犬でおまけに人懐こい。
その外国人の足にしがみついて、そのまま身体の上に乗りかかっちゃった。
普段はそんな事をする犬ではないので飼い主のお爺さんは驚いて、犬を引きはがそうと思ったのだけど、シッポを振ってじゃれていて離れようとしない。
と、そこへ警察官が「そのまま、そのまま!」とやってきてその外国人も捕まったという、そんな話だった。
そして、お察しの通りではあるけれど、事件の現場といえば、不審な幅寄せの車が停めてあった昨日の朝あたしとリュウさんがわざわざ見に行ったあの駐車場だったのである。
捕まったのが昨日あたしたちが出くわした外国人だったかどうかは定かではないけれど、その可能性は高い。
そういえば今朝、あたしが起きた時にはリュウさんは服を着替えていて、お義父さんと庭で話していた。
そしてパトカーのサイレンが聞こえたのはそのすぐ後だ。
もしかして、昨日の朝に続いて今朝もあの駐車場に行き、事件に出くわしたのではないだろうか?だとしたならば、車のエンジンが急に止まってしまったことも、車のドアが開かなかったことも納得がいく。
そのくらいのことならばリュウさんには朝飯前だ。
だってリュウさんは魔法使いなのだから。
あたしの視線に気がついたのだろう、リュウさんはあたしを見てにやりとして、ウインクのつもりなのかコンタクトが乾いただけなのか片目をつむった。
窃盗グループがつかまったのは良いことだと思うけれど、でもあたしは本当はリュウさんにはそんな危険なことはしてもらいたくないのだ。
あたしにとっては世界の平和よりもリュウさんの安全の方がはるかに大事なのだから。
窃盗グループが逮捕されてからは、看板にピッタリと幅寄せをする車を見かけなくなったし、噂にも聞かなくなった。
幅寄せの意味は謎のままであるが、何か犯罪に関係していたのかも知れないし、それは単なる偶然に過ぎないのかも知れない。
ある日、リュウさんと町のはずれのスーパーマーケットに食料品の買い出しに出かけた帰り道、例の駐車場の前を通った。
リュウさんはウインカーを出して速度を落として駐車場の敷地に車を入れて、そして停めた。
今度は看板に幅寄せはしないで、余裕を持って停めて、運転席から外に出た。
あたしは助手席から外に出て、運転席側の後ろのドアを開けて後部座席のベビーシートに座らせていた赤ちゃんの様子を見た。
「すぐに戻るから慎太郎はそのままでいいよ。」とリュウさんが言った。
「リュウさん、あの日は、」
あたしが真相を聞こうとしてそう話しかけた言葉がきこえたのかどうか、あたしの言葉を遮るように「ちょっとこっち来てこれ見てよ。」と言った。
リュウさんは看板の裏側を凝視しながら手招きをしてあたしを呼んだ。
看板の裏側をのぞき込むと、黒のサインペンの細かくて薄い文字が書かれていた。
いたずら書きなんだろう。
殴り書きではなかったけれど、大人が書いた文字には見えなかった。
#015を最後までお読みいただきありがとうございます。
#016は5/1(月)に配信します。
次回もどうぞよろしくお願いいたします。
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