小説「魔法使いのDNA」/#017
17
慎太郎
そして、翌々年、僕らは同じ大学の学生として会うことができた。
入学前の春休みに今度は翔馬が僕の家にやってきて、僕の家族と一緒に父の墓参りに行った。
そして僕たちが京都の大学に行くことになったことを父に報告した。
僕は「国立じゃなくてゴメン。」と言った。
翔馬は「慎太郎のお父さんと京都で会えるんを楽しみにしてたんやけど、残念やったわ。」としんみりと言った。
「翔馬、僕の結婚式に会えるよ」と僕は心の中で言った。
大学の入学式の日、大学のキャンパスでのサークル勧誘は思った以上に盛んだった。
僕と翔馬が歩いていると、あちこちで声をかけられた。
「慎太郎はサークルどないするんや?」翔馬が聞いた。
「実はさ、ジャグリングやろうかと思ってるんだ。」と僕は言った。
「なんや、それは初耳やな。経験あるんか?」
「いや、やったことはない。」
「そうか、なんやら難しそうやけどな。」
二人はジャグリングサークルの勧誘ブースの前で足を止めた。
先輩の男子学生がディアポロと呼ばれるコマをロープで回す芸のデモンストレーションをしていた。
あまり、慣れていないのか、動きが少しぎこちなくて、真剣な表情で、あまり余裕がなさそうだなと思った。
「高校は何かやってたんか?」と翔馬が聞いた。
「バスケやってたよ。僕らが育った町、ミニバスが盛んだったんだよ。小学生からはじめて高校までやった。バスケは楽しかったし、僕の高校のバスケ部もそこそこ強いチームだった。やっぱ、試合に勝つっていうのは気分が好いもんだよ。でも、大学では違うことをやろうと思って。今度は団体競技じゃなくて、もう少し自由に個人でできることをしたいと思ってるんだ。」と僕が言った。
「へえ、慎太郎、バスケ得意やったんか。悪いけどイメージないな。お前、団体行動より個人競技の方が向いてそうやわ。そんなイメージがある。」と翔馬が僕を見て笑った。
そして、「せやけど、ジャグリングかて団体行動には変わりあらへんちゃうの?」と聞いた。
「そうやけど、ジャグリングの道具を買い集めるの、費用かかりそうやん。」と僕が言うと、「ニセ関西弁要らんて!」とツッコミ入れてから、「確かにそやな。」と言った。
「前に、一緒に京都の大学まわっただろう。あの時にジャグリングの練習をしている学生を見て、すごい興味が湧いたんだ。なぜだかわからないけど、お尻の辺りから背中の方までむずむずして、ああ、これはやらなきゃって思ったんだ。」と僕は説明した。
結局僕はいくつか大学にあったジャグリングのサークルの中から一番練習熱心で真面目なサークルを選んで入った。
翔馬も一緒だった。
僕は勉強そっちのけでジャグリングの練習に励んだ。
ジャグリングを見るために他の大学の学園祭にも行った。
道具を買い揃えるために飲食店でアルバイトをした。
ピアノを習っていたことが役に立ったかどうかはわからないけれど、ギターはあまり上手にならなかったし、特に手先が器用だとは言えない僕は、最初からうまくジャグリングができたわけじゃなかった。
だけど一度ハマるといつまでも集中していられる性格の僕は、気がつくとだいぶ腕があがっていた。
カードリフラッシュというカードを使ったジャグリングがあって、それを練習した時に、父の手品のことを思い出した。
ときどき見せてくれたカードを使った父の得意な手品。
やはり、僕の中で父の存在は大きいのだとあらためて思う。
「影響」というより、すぐ肩越しに父がいるような、もっと言えば、僕の身体の中に僕と一緒に父が存在しているような、そんな気がする。
関西の大学のジャグリングサークルが加盟する連盟があって、連盟主催の大会が行われている。
その大会で3年生の時に個人部門で僕は優勝した。
大会での優勝は僕の自信につながり、そして運命を決定づけるものになった。
3年生の秋になると同級生の間では就職の話が多くなってくる。
自己分析がどうだ、エントリーシートがどうだ、リクルートスーツはどうするなんて話が周りから聞こえてきた。
僕はといえば、本気でジャグリングで食っていける道を探していた。
もっともっと技術を身につけたくて海外で学ぶことを真剣に考えていた。
そんな僕を現実離れしていると笑う奴らもいたし、「それは夢じゃなくて妄想だ。」という奴らもいた。
もちろん、ジャグリング一本で食っていくことが口で言うほど簡単じゃないことはわかっているし、好い加減な気持ちで取り組んで、夢が自然に叶うのを待っているだけならば、なるほどそれは妄想と言われても仕方がない。だけど僕は夢に向かって着実に進んでいるのだから、それを現実離れしているとは言われたくない。
僕は固い決意を持っていた。
せっかく大学に入って、今まで勉強らしい勉強をしてこなかったけど、ここにきて英語はしっかり学ばなきゃ、と思った。
また、ジャグリングについて深く知るために、欧米の文化についても興味を持った。
勉強への興味のスイッチが入った時、学生の立場にあったことに感謝した。
興味があることを学べる授業が目の前にあったのだ。
大学を卒業して、僕はニューヨークの学校でジャグリングを学ぶことにした。
誰も頼る人もいない異国の地へよく来たもんだと我ながら思う。
自分で決断したことには違いないのだけれど、目標を見つけた途端に道は開かれていった。
悩んだり、躊躇したりする余裕はなかった。
ニューヨークは人も街も刺激的だった。
ニューヨークの僕のルームメイトはデザインスクールに通うアメリカ人だった。
名前をトニーと言った。
ある日曜日、トニーに写真展を見にいかないか?と誘われた。
自分の知り合いの写真家が仲間たちとグループ展を開催しているのだという。
僕は日曜日でも遅くまでは寝ていない。
朝早くに起きて、公園でランニングをして、一度家に帰りシャワーを浴びて、再び公園に行ってジャグリングの練習をするのが日課だった。
クリエイティブなことに興味のある僕は美術展にもよく行った。
僕はトニーの誘いにのって写真展に行くことにした。
写真展が開催されていたのはチェルシー地区にある小さな洒落たギャラリーだった。
僕は良し悪しが判断できるほど写真に詳しくはなかった。
トニーの知り合いの写真家はマークと言った。
僕はマークではなく、デヴィッドの写真に興味を持った。
モノクロで撮影された写真はシリーズになっていた。
同じ場所、同じ構図で撮られている写真は、しかし被写体が写真ごとに異なっていて、すべての写真に小さなストーリーがあった。
現実とシュールさが入り混じった奇妙な作品たちだった。
例えばこんなシリーズがあった。
車が停められている写真なのだけれど、なんとなく違和感があるのは車の停車方法である。
実はぶつかっているのではないか?と思われるほどに壁に隙間なく車が寄せられている。
そして車の中には人が乗っていて、それぞれタバコを吹かしていたり、ぼんやりと外を見ていたり、会話をしていたりしている。
キスをしている写真もあった。
そんな幅寄せをした車の写真のシリーズの中に、日本の風景を発見した。
瓦屋根の家が並ぶ住宅地の一角の駐車場の、看板にピタリと幅寄せされた車の写真が5枚ほどあった。
5枚とも違う車種の車で、違う人が乗っている。
そして、その写真の一枚を見た時に、僕は息が止まるかと思った。
モノクロで、雰囲気は違って見えたけれど、決して見間違えることのない見覚えのある車が写っていたのだ。
そして、その車の中には、僕の父と母の姿があった。
#017を最後までお読みいただきありがとうございます。
#018は5/15(月)に配信します。
次回もどうぞよろしくお願いいたします。