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人間、やはり顔か?
たまに、なぜ自分と同じような、しかも明らかに自分以外の人間がいるのだろう?と妙に不思議に思うことがある。
この話は別の機会に譲るとして、人間には他と識別する特徴として、体付きなどにも小太りとか柳腰とか色々な特徴がある。
「あの人の肌は本当に綺麗ね」などという美肌も、特に一昔前なら大きなポイントになったはずだ。
セキュリティ上の識別ということ自体は、指紋などということになるが、日常の人付き合いにはあまり関係が無い。
何と言っても、それぞれの人々の表札は、顔、フェイスであり、我々の識別判断のかなりの割合を占めている。
中学生の頃だったかな?その人の片思いの人などに成りすます悪戯電話の流行った時期があった。
たわいない子供の悪戯であるが、これが結構不思議なほど騙される。
「あの娘と話したい」などという願望があることもあるが、声というものが、あまり当てにならないということも言える。
これとは別に、例えば顔を隠し、首から下を見せられても、普段あまり確認していないこともあるが、身近な人でも確実とは言い難い。
結局、識別要素は色々とあっても、顔以外はあまり頼りにならない気がする。
だが、これも案外だなと思ったことが、つい最近おきてしまった。
実はちょっとしたきっかけがあって、懐かしい友人に30年ぶりくらいに会おうとした。
事前にお互いに連絡を取り合い調整したが、約束の時間を過ぎても待ち合わせ場所に、それらしい人は見当たらない。
時計の秒針がぐるぐると何周か回ったが、その後も全く現れる気配が無い。
そこで、このような時には本当に有難いツールである携帯電話を取り出して、出会えぬ友人を呼び出してみた。
電話に出た友人と話してみると、電話をする必要がない笑えるほど側にいるではないか。
まもなく駈け付けた友人によると、先ほどしっかりすれ違ったそうである。
つまり、お互いの顔の経年劣化が、お互いの想像以上、あるいは範囲を逸脱していたのだ。
長い時の経過による生物的な衰え、社会的な要素による疲労の蓄積などが、我々の想像を遥かに上回っていた。
「なんだ、なんだ、全く違っちゃったな、わからなかったよ」とお互い顔を見合わせて苦笑いするしかなかった。
友との再会は嬉しいが、何とも情けないような、そして、少し悲しい現実であった。
顔の激変のついでに、頭髪の量、体型もしっかり中年をしている二人。
人間、やはり顔?と言っても、美男美女とは全く関係ないお話でした。
(2011年9月作)