二人で泣いた
もう三年も経ったのか
母の病とわたしが骨折してから
七十日の入院生活を終え
退院した日に母に会いに行く
わたしは息子の車に乗せられて
母とわたしは抱き合いながら泣いた
「あんたじゃなきゃダメなの」
母にそう言われる
わたしだって母のことが心配だった
自分よりもヨレヨレになったわたしの姿を見て
母はとてもショックだったのだろう
その時はまだ母は元気だった
いや元気なふりをしていたのか
息子に言わせれば
「ばあちゃんも強い薬を飲んで、ダヤイ、ダヤイといっていたよ」
それでも奇跡的に病は消えた
「お母さんの入院中にばあちゃんが死ぬこともあり得たよ」
息子はそうも言っていた
母の言葉を聞いて苛立つ彼
わたしは母の娘、孫とは違う
それでも息子はよくやってくれたと感謝している
忙しい仕事の合間に
仕方がない
息子には母のこともわたしのこともやれる力があったから背負えたのに
そこから荒れまくる
「わたしはお前のサンドバッグじゃない」という言葉を飲み込む
辛かった、キツかった
母と二人、
必死に生きた
子供は当てにしてはいけない
わたしはひとり
その時はまだ母がいた
たぶん生きていてくれても
いつかお別れはやってくる
必ずサヨナラをしないといけないのに
人間は独りで生まれ
独りであの世に還るから
でも勝手な生き物で
何にもわからない
少しずつ、少しずつ進んでくれても
多少の覚悟は出来ていても
無理なものは無理
大切な人を失くしたひとは落ち込んで
泣けもしない
泣ける人が羨ましかった
今、右腰上を打撲して
あの時のことを思い出す
動かすと「いてててて」となるけれど足を骨折した時とは違うような感じがする
もう少し様子を見よう
今はもうひとり
母のようにわたしのことを深く思ってくれる人はこの世にいない
また希死念慮が顔を出す
死んだら楽になれるかな?
弱いわたし
恐らく母は
不機嫌な顔をして
「わたしのように生きなさい」というだろう
わたしは母のように性根が座っていないから
まだまだ甘えん坊
仏壇の前で
今は独りで泣いている