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プレゼント


忘れていた
わたしの書いた最初の記事

それはつぶやきだった
noteを離れるあの方が私の最初の投稿を彼女のマガジンに載せてくれる

その時はまだ母の身体はこの世にあって、わたしはとてつもなく必死だった

暗い暗い記事である

最後まで母は懸命に生きていて
自分を支えていた

いろいろなことがあり過ぎて
わたしは自分の最後の手術のことで何もかもいっぱいいっぱいとなる

本当は母のことを放っていた自分が許せなかった

「お母さん(わたし)はよくやっていた」(長男からの言葉)
「お母さん(母)は喜んでくれている」
「(母は)ありがとうと言っている」

そんなことを言われても
母はもう戻って来ないから

後悔と言うよりも自分を責めていた
ずっとずっと

本当にかなしいと何にも感じなくなる
そんな時、友達の胸を借りてわんわん泣かせて貰ったことも
みんなが優しくしてくれて
思いやってくれたことも

今でも寄り添ってくれる人がいることも

ありがたいと思っている

それでも時々涙する
ひとりぼっちにされたから

本当はいつも側にいるのに
ただわたしには見えないだけ

最初の一年は何にも考えられず
ただ息をしていただけである
身体はちゃんと動くけれど

二年目になると
頭は少しずつ働くようになるが
今度は身体が動かない
春先にはなかなか引かない蕁麻疹も出る

とってもチグハグなわたしは
母がいない泣いている

この経験は何になるの
どうなるの

どんな感じと聞かれたら
わたしは自分の感じたままに話しをする
素直に書き綴ろう

これはわたしの神を求める原点となることなのか…

時々思い出す
「あんたがいてくれて良かった」
「ありがとう」
と言っていた母が彼の世に旅立つ前の言葉を

昨日話しをした一緒に心学びをする知人からは
「お母さんはもう還る時期を決めて出て来たんだから」

母は私のために何度も命を延ばしてくれる
後悔は私の欲だよね
痛みもなく、苦しまずに
彼の世に旅立っていったんだから

神の言葉を預かるお社さんにも
「お母さんはよろこんでいますよ」

何がですか…
ちゃんと立とうとしているから


わたしはnoteを去る人からプレゼントを貰う

ありがとうhohoさん
いつも見守ってくれていて

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