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嫌いな人から学んだこと

わたしには二人の祖父がいた。

ひとりはやさしくて、思いやりのある母方のじいちゃん。

もうひとりは煮ても焼いても喰えない、自分のことが一番かわいい、自分しか愛せない父方のじいさん。

父は晩年に鏡の前で、自分が父親に似てきた容姿を見て
「血を抜きたい」と嘆いていた。

父方のじいさんは自分のことしか考えられない、自分さえ良ければいい、そんなやつだった。
親だからと当たり前のように父や母に迷惑をかけてくる。

わたしの病はじいさんと同じ、体質が似ているといっても
「おれは誰にぶつければいい」
と知らん顔。
若いころから病とともに青春なんかない人生を生きてきたわたし。
死ぬ病ではないけれど、わたしが病院での治療で死にかかっても、自分のことばかりを言ってくる。
真っ暗な真っ暗な中をやっとの思いで生きてきたのに…
このじいさん、人間のこころをどこかに置いてきたのかと思われる。
頭を下げるという言葉もどこかに置いてきた。
それはじいさんの責任ではないのかもしれないが。

財産を持っていてもわたしには一文たりとも残さない。

「普通はな、同じ病を持つお前に一番に残すものだよ、あのじいさんは間違っている」と母方のじいちゃんはよく言っていた。

そんなじいさんいるか?いるんだよ。

結局持っていた財産は叔父たちに全て奪われ、最期はお金のかからない汚い汚い老人病院に入れられて、そこで惨めに死んで行った。

父はじいさんの財産をもらわずにいて、後から母は怒っていた、父が死んでからも母は怒っていた。

それでもわたしには人間はお金だけが大事ではない、見えないこころの方が大切だとわかっている。
こころを学んで来ているから。

確かに生きてゆくにはお金がなければ困るという母の気持ちも理解できる。

最後には父の方からじいさんと縁を切ってきたらしく…
「おれは葬式にはいかん、もう別れは済ませてきた」
と父はじいさんの葬式にも出なかった。
父のけじめだったと分かるけれど、母は納得出来なかった。
恐らく叔父たちもじいさんの葬式に父がいないことを世間から奇異な目で見られたにちがいない。

それからは父方の縁者とは一切繋がりはない。

父方の縁者はみんなスパンスパンと関係を切ってゆく、平気で繋がりを切ってゆく。思いやりなんてない。こころというものを持たない輩。

わたしにもその血が入っているから気を付けないと、と心している。
父にもやっぱりその血は混じっていると感じた。

嫌いな者から学んだことは父方のじいさんたちのように何でも関係を切ってはいけないこと。
自分勝手に自分さえ良ければいいとという生き方をしないこと。

わたしも時々思う、父のように
「血を抜きたい」と
わたしにも同じ血が流れているから。

反面教師。

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