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ラマホロット語のくせがすごい
私が研究している言語の一つにラマホロット語という言語があります。
この言語はインドネシア共和国フローレス島東部とその周辺の島々で話されているオーストロネシア語族の言語の一つです。
あまりなじみのない言語かもしれませんが、実は言語学ではとてもよく研究されている言語の一つなんです。
そして、言語学的なくせがすごいです。
今回は「言語学な人々 Advent Calendar 2022」の一環としてこのラマホロット語の紹介をしたいと思います。
それを通して世界の言語の多様性の研究についても紹介したいと思います。
ラマホロット語とは?
はじめにラマホロット語の紹介からはじめましょう。
以前、自己紹介でも書いたのですが、私は言語学を専攻しています。特に、フィリピンやインドネシアで話されているオーストロネシア語族の言語を研究しています。
オーストロネシア語族というのは、北は台湾、西はマダガスカル島、南はニュージーランド、東はイースター島という主として太平洋の島々で話されている言語のグループです。
1,200もの言語を擁し、広大な地域で話されているため、世界最大級の語族の一つとよく言われます。
語族というのは共通の祖先 (「祖語」) に遡ると仮定できる言語群のことで、オーストロネシア語族の言語はもともと台湾で話されていた一つの言語 (「オーストロネシア祖語」) に遡ると考えられています。
ラマホロット語は、このオーストロネシア語族のなかでも中央マレー・ポリネシア語派フローレス・レンバタ語群に属している言語で、下の地図だと中央の緑の枠で囲われた地域で話されている言語の一つです。
現在の国でいうと、インドネシア共和国東ヌサ・トゥンガラ州のフローレス島東部およびその周辺の島々で話されています。
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ラマホロット語が話されるフローレス島は、コモドドラゴンなどの貴重な生物や、三色の火口湖で知られるクリムトゥ山や美しいビーチなどの観光スポットで知られています。
さらには、考古学の世界では「ホビット」の愛称で知られる小型のヒト属ホモ・フローレシエンシスが発見された場所として有名です。
そんなフローレス島を中心に話されているラマホロット語ですが、話者人口はだいたい300,000人程度と推定されています。インドネシアは700もの言語が存在し、世界でも有数の言語の多様性を持っている国なのですが、ラマホロット語はそのなかでも比較的大きな言語です。
実は「メジャー」なラマホロット語
これを読んでいるみなさんのほとんどは、ラマホロット語という名前を今回はじめて聞いたことでしょう。
ところがこの言語、実はけっこう「メジャー」な言語です。
まず、東インドネシアの主要な言語です。ラマホロット語はフローレス東部からその東の多くの島々に広く分布しており (以下の地図参照)、この地域の共通語としての性格を持っていいます。
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方言差も非常に大きく、西部・中央・東部の3つの大きな方言があります。私が研究しているのは西部方言のなかでも最西端のレオトビ方言 (Lewotobi) です。下の地図で Nurabelen と書いてあるとこフローレス島とその周辺の島々 (Nagaya 2022: 26)
次に、研究史が長いです。ラマホロット語が話されている地域は、かつてポルトガルやオランダによって支配されていましたが、そのせいもあって19世紀から文法スケッチや語彙集などが発表されています。
とりわけ、旧宗主国であるオランダのライデン大学の言語学者たちの研究がよく知られています。
さらに、言語学のみならずさまざまな分野で研究されています。ikat と呼ばれる織物や捕鯨などの興味深い文化があることから人類学的研究も多いです。
特に、ラマレラ村 (Lamalera) は捕鯨でよく知られており、Robert Barnes、Ruth Barnes などによる一連の研究が有名です。ラマレラの捕鯨については本になったり映画になったりしています。
さらに、ラマホロット語は研究者も多いです。重要な言語である上に、言語学的にも興味深く、方言差も大きいため、たくさんの研究者がいます。思いつくだけで文法書も10冊程度既に発表されています。
先に言及したライデン大学の Marian Klamer 先生をはじめとして、Francesca Moro 先生、Hanna Fricke 先生などの研究者がいます。日本には私の他にも茨城大学の西山國雄先生がレオイグ方言を研究なさっています。
このように、あまり知られていないように思われるラマホロット語ですが、言語学の世界では比較的よく知られた言語なんですね。
ラマホロット語はくせがすごい
そういうラマホロット語なんですが、実はくせがすごい言語です。
くせがすごいというのは言語学的に興味深い変わった特徴があるということです。私が主に研究している記述言語学や言語類型論では褒め言葉です。
この言語のくせにはいろいろあるのですが、今回はそんなくせのなかで3つの現象を取り上げてみたいと思います。
特に私が研究するレオトビ方言の研究から紹介します。
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具体的には、
語順
一致
アスペクト
の3つです。どんな特徴なのでしょう? 一緒に見ていきましょう。
語順のくせがすごい
ラマホロット語は語順のくせがすごいです。一見すると単純なのですが、近隣の言語と比較するとくせがすごいのです。
まず、ラマホロット語の基本語順は S-V-O です。次の文のように、主語、動詞、目的語の順番で出てきます。Ika「イカ」は人名です。(私のメインのコンサルタントの娘の名前です。)
Ika sepa bola.
イカ 蹴る ボール
「イカはボールを蹴った。」
これ自体は特に驚くべきことではないのですが、これを否定すると次のように否定の標識が文の最後に出てきてS-V-O-Neg という順番になります。
Ika sepa bola həlaʔ.
イカ 蹴る ボール 否定
「イカはボールを蹴らなかった。」
次に、ラマホロット語の所有表現は所有者-所有物の順です。日本語と違って、所有標識が所有物の方についていることに注意です。
Ika laŋoʔ=kə̃
イカ 家=所有
「イカの家」
これらの S-V-O-Neg や所有者-所有物の語順はラマホロット語を中心とする東インドネシアに多く見られる語順です。
だからどうしたと思うかもしれませんが、実はこれはくせの強い語順です。
なぜならこれはインドネシア語を始めとする西インドネシア諸言語の語順の傾向から考えると対照的な語順だからです。
インドネシア語をはじめとする西インドネシアの言語は S-Neg-V-O かつ所有物-所有者という語順を多くの場合とります。たとえば、インドネシア語は、
Ika tidak menendang bola.
イカ 否定 蹴る ボール
「イカはボールを蹴らなかった。」
のように、 S-Neg-V-O 語順をもち、
rumah Ika
家 イカ
「イカの家」
のように所有物-所有者の語順をとります。
つまり、西インドネシア諸語が S-Neg-V-O かつ所有物-所有者という語順を持つのに対して、ラマホロット語などの東インドネシアの言語は S-V-O-Neg かつ所有者-所有物の語順を持つのです。
このインドネシアの東西の語順の対立は18世紀の東インド会社のころから既に気付かれていたほど顕著な対立です。
ラマホロット語の語順はまさにこの対立を体現しています。この言語は東インドネシア型の語順が生じる最西端の言語なのです。
この事実は非常に重要です。
なぜなら、この東インドネシア型の語順は、オーストロネシア語族の言語を話す人々がこの地域に住み着く以前にこの地域に住んでいた (そして現在では消滅した) 「パプア系」の人々の言語と接触したために生じたと推測されているからです。
そして、この「パプア系」の言語は日本語と同じく S-O-V-Neg で、所有者-所有物の語順を持っていたに違いないと考えられています。
つまり、ラマホロット語の (インドネシア諸語全体からみたら) くせの強い語順は、この言語を話す人たちの過去の社会構造を反映したものと考えられているのです。
遠い昔にあったはずの社会的変化が現在の言語の構造に反映されているのだという仮説ですね。
東インドネシアのように歴史書などの記録があまりない地域では、現在話されている言語が過去の社会の様子を知る大きな手がかりとなります。ラマホロット語の語順はそのような過去を知る手がかりの一つです。
このあたりの事情については、来年には出版される (はずの) 以下のハンドブック所収の Languages of Flores and its satellites という論文にまとめているので、興味のある方は読んでみてください。(語順の他にも「バナナ」のような語彙や類別詞、譲渡 (不) 可能所有のような文法にも、「パプア系」言語の影響が見られます。)
一致のくせがすごい
ラマホロット語の動詞の一部は主語と一致します。たとえば次のように言います。
mo m-enũ kopi.
あなた あなた-飲む コーヒー
「あなたはコーヒーを飲んだ。」
この例文では主語 mo 「あなた」が二人称で単数であることが、動詞 enũ 「飲む」の m- という接頭辞によって示されています。これを一致 (agreement) といいます。
このような一致現象自体はヨーロッパの言語にもあり、特に珍しいものではありません。
たとえば、スペイン語を勉強している人は tú bebes café 「あなたはコーヒーを飲む」のように動詞が主語と一致することを知っていますね。よくあることです。
ラマホロット語の一致のくせがすごいのはここからです。
まず、ラマホロット語では、動詞だけでなく接続詞も一致を示します。
たとえば、以下の例では「A と B」という表現において「A」と「と」が一致しています。「A」の人称・数の情報が「と」にも標示されています。
mo m-ə̃ʔə̃ go
あなた あなた-と 私
「あなたと私」
世界の言語で動詞や形容詞が一致するのはふつうですが、ラマホロット語のように接続詞が一致するのはかなり珍しいです。
次に、主語の意味に対応して一致することもできます。どういうことかというと、次の例文を見てください。
Ika r-enũ kopi.
イカ 彼女たち-飲む コーヒー
「イカとその友だちはコーヒーを飲んだ。」
これは何が起きているかというと、主語は「イカ」で三人称・単数なのですが、動詞は r- で三人称・複数なので、文全体としては「イカとその友だち」というふうに解釈されるということです。
言い換えると、この文では、統語的な主語の人称・数に一致するのではなく、意味的な主語の人称・数に一致しているということです。
前者を統語論的一致 (syntactic agreement) といい、後者を意味論的一致 (semantic agreement) ということがあります (Corbett 2006)。
なかなかくせのすごい一致パターンですね。ラマホロット語にはこのような意味論的一致が広く見られます。
アスペクトのくせがすごい
ラマホロット語はアスペクトを文末にアスペクト辞をおくことで表現することができます。
たとえば、
go k-enũ kopi kaeʔ.
わたし わたし-飲む コーヒー すでに
「わたしはコーヒーを既に飲んだ。」
のように文末のアスペクト辞 kaeʔ 「既に」を使って、ある事態が完了していることを表現しています。
一方で、未完了の事態を表現するにはなんというかというと、morə̃ というアスペクト辞を使います。たとえば、
go k-enũ kopi morə̃.
わたし わたし-飲む コーヒー ????
「わたしはコーヒーをまだ飲んでいない。」
というふうに言います。ここでは morə̃ は「まだ〜ない」という未然の意味です。
実は、この morə̃ のくせがすごいです。
なぜかというと、この morə̃ にはもう一つ意味があって「(まだ) 〜している」という継続の意味があるのです。
したがって、上の go k-enũ kopi morə̃. という文には、「わたしはコーヒーをまだ飲んでいない」という未然解釈に加えて、「わたしはコーヒーをまだ飲んでいる」という継続解釈もあるのです。
このように morə̃ は未然と継続というまったく意味の異なる二つの解釈を持っているのです。
くせがすごくて混乱している方もいらっしゃるかもしれませんので、もう一度言います。
ラマホロット語の morə̃ は一つの文で「まだ〜ない」(未然 not yet) という解釈と「まだ〜している」(継続 still) というふたつの解釈を許すのです。
例文をもう一つ紹介しておきましょう。morə̃ が二つの全く異なる意味を表現しています。
waiʔ teʔẽ plate morə̃.
お湯 この 熱い ????
未然: 「このお湯はまだ熱くない。」
継続: 「このお湯はまだ熱い。」
このように morə̃ はくせがあります。
なぜこのようなアスペクト辞が存在し、しかも、ラマホロット人たちが混乱しないでいられるのかというのは謎です。
正直なところ、よくわかりません。
ただし、このくせのすごさは世界でも注目されています。そのことがわかるエピソードを一つ紹介しましょう。
私は先週、アメリカ合衆国のテキサス大学オースティン校で開催された第14回国際言語類型論学会 (14th Conference of the Association for Linguistic Typology) に参加してきました。2022年12月15日から17日まで開催されました。
この学会は、言語類型論という世界のたくさんの言語を比較して人間言語の特徴について一般化しようという言語学の分野の学会です。
その学会では何十もの発表があったのですが、そのなかで私のラマホロット語の研究に言及していた発表は2つあり、そのどちらもがこの morə̃ に関するものでした。(発表要旨はこちらから読むことができます。)
The continuative cycle
Ljuba Veselinova and Anastasia Panova (Stockholm University)When ‘still' means 'not yet’
Bastian Persohn (FSU Jena)
世界が注目するくらいラマホロット語のくせがすごいということですね。
ちなみに日本語について言及していた要旨は6つです。日本語のような大言語で6つに対してラマホロット語が2つですから、かなり健闘していますね。
というわけで、ラマホロット語のアスペクトのくせが強いという話でした。
この morə̃ についてもう少し知りたい場合には以前書いたものがあるので、こちらをご覧ください。
くせのすごい言語はおもしろい
今回は、「言語学な人々 Advent Calendar 2022」の企画としてラマホロット語の紹介をしてみました。
とりわけ、
語順のくせから東インドネシアの過去の社会構造を推測できる
一致のようなありふれた現象にもくせがあることがある
アスペクト辞のくせのすごさに世界もびっくりしてる
という点についてお話しました。
これを通して世界の言語の多様性の研究の一端を紹介できたらなと思っています。
ラマホロット語のように一般には「マイナー」と考えられている言語の研究でも、あるいは、そのような言語の研究だからこそ、人間の言語の理解に寄与することができることを強調したいと思います。
もちろん、これでラマホロット語のおもしろさが語り尽くされたわけではありません。
他にも、品詞の話や動詞連続構文の話などおもしろい特徴があります。
さらには、この言語には「右」や「左」のような相対的な空間表現が存在しないというくせもあります。「私の母は木の左に立っています」のような言い方ができないのです。
では、「右」や「左」を使わずに空間をどう表現するのかというお話は以下の論文で書きましたので、興味のある方はそちらをご覧ください。
あるいは、そもそもなぜラマホロット語の研究をしているのということにも興味がある方がいらっしゃるかもしれません。
そういう話はまたの機会にお話しようと思います。来年からもときどきこの note でこのような話をしていきたいと思っています。
というわけで、「言語学な人々 Advent Calendar 2022」の私の投稿を読んでいただきありがとうございました。
2022年はありがとうございました。
来年がみなさまにとってよい年となりますように。
メリークリスマス🎅🎄
参考文献
Corbett, Greville G. 2006. Agreement (Cambridge Textbooks in Linguistics). Cambridge: Cambridge University Press.
Fricke, Hanna. 2017. The rise of clause-final negation in Flores-Lembata, Eastern Indonesia. Linguistics in the Netherlands 34. 47–62. https://doi.org/10.1075/avt.34.04fri.
Fricke, Hanna. 2019. Traces of Language Contact: The Flores-Lembata Languages in Eastern Indonesia. Utrecht: LOT Publications.
Klamer, Marian. 2020. From Lamaholot to Alorese: Morphological loss in adult language contact. In David Gil & Antoinette Schapper (eds.), Austronesian Undressed: How and why languages become isolating, 339–368. Amsterdam: John Benjamins.
Nagaya, Naonori. 2011. The Lamaholot language of eastern Indonesia. Houston, TX: Rice University PhD dissertation.
長屋尚典. 2015. ラマホロット語のアスペクト辞 morə̃ の二つの解釈と話者の知識. 東京外国語大学論集 91: 57–68. http://repository.tufs.ac.jp/handle/10108/84885
Nagaya, Naonori. 2022. Directionals, topography, and cultural construals of landscape in Lamaholot. Linguistics Vanguard 8(s1). 25–37. https://doi.org/10.1515/lingvan-2020-0022.
Nagaya, Naonori. To appear. Languages of Flores and its satellites. Alexander Adelaar and Antoinette Schapper (eds.) The Oxford Guide to the Malayo-Polynesian Languages of Southeast Asia. Oxford: Oxford University Press.