越後交通栃尾線 道路の真ん中を覆っていた雑草
「廃線跡散策」という鉄道趣味の一ジャンルにのめり込んだ鉄道ライターが、そのきっかけとなった越後交通栃尾線の思い出を語ります。
(この記事は2018年6月に会員限定記事として配信したものです。)
推測通りに現れた「遺跡」
「レールのない鉄橋」をきっかけに、私(草町)は越後交通栃尾線がどこを通っていたのか、線路の跡地はどうなっているのか、知りたくなりました。
▲道路の真ん中に残っていた栃尾線の線路跡地(1983年11月、草町義和撮影)。
国土地理院が発行している最新の地形図を入手。栃尾線があったころの古い地形図も父から借りて、線路が敷かれていた場所を推測しました。そして中学時代の1983(昭和58)年11月23日、全線約27kmのうち、長岡駅から悠久山駅までの約3kmを歩いたのです。
当時は国鉄再建法に基づく特定地方交通線の整理が始まったばかり。ちょうど1か月前の10月23日、北海道の白糠線が廃止されています。これからどんどん鉄道が廃止されて、自分が乗りに行く前に消えてしまう路線が増えるだろう。だったら廃止された鉄道を楽しむしかないじゃないか……栃尾線の跡地を歩いたのは、そんな思いもありました。
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