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越後交通栃尾線 単線なのに「複線」の鉄橋が

「廃線跡散策」という鉄道趣味の一ジャンルにのめり込んだ鉄道ライターが、そのきっかけとなった越後交通栃尾線の思い出を語ります。

(この記事は2018年6月に会員限定記事として配信したものです。)

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続々と現れた鉄道の施設

 越後交通栃尾線の悠久山~長岡間を歩いてから2年後の1985(昭和60)年8月16日、残りの長岡~上見附~栃尾間、約24kmを一気に歩きました。世間が「日航123」というキーワードで騒がしかったころのことです。

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▲浦瀬駅の駅舎。バスの待合スペースとして再利用されていた(1985年8月16日、草町義和撮影)。

 悠久山~長岡間以上に、多種多様な遺構が残っていました。こんなものが残っていた!あんなものがまだ残っていたのか! と、驚きの連続。なかなか前に進みません。浦瀬駅の跡地に残っていたのは、木造平屋の駅舎。入口は板でふさがれていたものの、軒下にベンチが並べられていて、路線バスの待合スペースとして使われてました。

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