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客車やディーゼルカーも「動員」 つくば万博の臨時列車

大阪で国際博覧会(万博)が半世紀ぶりに再び開催されることが決まりましたが、いまから30年以上前には関東で「つくば万博」などと呼ばれた万博が開催されました。これに合わせて常磐線で運転された臨時列車を、閉幕間近の9月になって撮影しました。

(この記事は2018年12月に会員限定記事として配信したものです。)

「星丸」ヘッドマークを掲出

 1970(昭和45)年の大阪万博以来、日本の各地で国際博覧会、いわゆる「万博」が開催されるようになりました。関東では1985(昭和60)年、筑波研究学園都市の茨城県筑波郡谷田部町(現在のつくば市)を中心としたエリアで「つくば万博」が開催されています。

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▲つくば万博向けの臨時列車。EF81形が12系客車をけん引する臨時列車もあり、先頭には「コスモ星丸」をデザインしたヘッドマークが取り付けられていた(1985年9月、楠居利彦撮影)。

 つくば万博の正式名称は「国際科学技術博覧会」で、「科学万博」と呼ばれることもあります。「人間・居住・環境と科学技術」を統一テーマとして48か国が参加。1985(昭和60)年の3月17日から9月16日まで開催され、総入場者数は2033万4727人を記録しました。

 この当時、会場に比較的近いところを通っていた鉄道路線は常磐線のみ。東京都心と筑波を結ぶ首都圏新都市鉄道常磐新線(つくばエクスプレス線)は、影も形もありませんでした。このため、つくば万博の開催期間のみ営業する臨時駅の万博中央駅が常磐線の牛久~荒川沖間に設置され、同駅から会場までは連接バスによるシャトル運転が行われました。

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▲常磐線 牛久~荒川沖間に開業した万博中央駅。下りホーム側がメインの改札口で、駅前広場からは会場までの連接バスが発着した(1985年9月、楠居利彦撮影)。

 万博中央駅はつくば万博の終了とともに廃止されました。しかし1998(平成10)年3月、ひたち野うしく駅が同じ位置に開業しています。

 万博会場に向かう大勢の人を運ぶための臨時列車も多数運転されました。その多くは常磐線の普通列車で当時使われていた415系(401系と403系を含む。以下同じ)が中心。つくば万博のマスコットキャラクター「コスモ星丸」をあしらったヘッドマークが取付けられました。

 ちなみに、常磐線415系の車体塗装はローズピンク(赤13号)を基調にしたものでしたが、つくば万博の開催に先立つ1983(昭和58)年から1985(昭和60)年にかけ、クリーム色と青帯を組み合わせた塗装に変更されています。

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▲方向幕にエキスポライナーと表示している403系。列車番号が8000台なので臨時列車だ(1985年9月、楠居利彦撮影)。

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▲415系はつくば博に合わせて新塗色に変更され、イメージチェンジが図られた(1985年9月、楠居利彦撮影)。

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▲ヘッドマークだけではなく、サボもコスモ星丸をあしらったものが用意された(1985年9月、楠居利彦撮影)。

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