越後交通長岡線 廃止後も「そのまま」放置は田中角栄の意向?
長岡市の中心部と日本海側の寺泊を結んでいた越後交通長岡線。廃止から10年以上経過していた時点でもレールや架線柱などの施設が放置されていました。
(この記事は2018年7月に会員限定記事として配信したものです。)
レールや架線柱は廃止時のまま
▲越後交通長岡線の越後大津駅跡。ホームは床を支える柱だけが残っていたが、枕木やレール、架線柱はほぼそのまま放置されていた(1989年3月、草町義和撮影)。
越後交通栃尾線の跡地を全線踏破してから4年後。国鉄がJRに変わり、昭和も平成に変わった1989(平成元)年3月、久しぶりに廃線跡の全線踏破を敢行しました。栃尾線と同じ、越後交通が経営する長岡線です。
長岡線は、信越本線の来迎寺駅から越後平野の田園地帯を貫いて、日本海に面した寺泊駅に至る、全長約29kmの鉄道路線でした。
旅客輸送は栃尾線と同じ1975(昭和50)年までに全線廃止されましたが、1989(平成元)年当時は来迎寺~西長岡~越後関原間の約12kmのみ貨物線として存続。さらに越後関原~王寺川間の約2kmも休止扱いの路線として地形図に描かれていました。そのため、当時実際に散策したのは越後関原~寺泊間の約17kmだけです。
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