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越後交通栃尾線 初めての廃線跡は「レールのない鉄橋」

「廃線跡散策」という鉄道趣味の一ジャンルにのめり込んだ鉄道ライターが、そのきっかけとなった越後交通栃尾線の思い出を語ります。

(この記事は2018年6月に会員限定記事として配信したものです。)

私を廃線趣味に引きずり込んだ鉄橋

 私(草町)は新潟県の六日町(現在の南魚沼市)出身。小学生だった1980(昭和55)年の前後、母の用事に同行して新潟県中越地方の中心都市・長岡市を訪ねる機会がよくありました。六日町駅から長岡駅までは、上越線の普通列車に乗って片道約1時間の行程。長岡駅で下車し、東口から少し離れた用事先に向かうというのが定番のコースでした。

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▲越後交通栃尾線の跡地に残っていた鉄橋。手前にあった踏切の部分もアスファルトで埋められている(1983年11月、草町義和撮影)。

 東口から用事先までの途中には、さび付いた鉄橋がありました。桁の上には枕木と防護用のレールが敷かれているものの、走行用の2本のレールは取り付けられていない。そもそも鉄橋の前後には線路がなく、これは一体何なのかと、いつも不思議に思っていました。

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