アマゾン流会議の進め方から学ぶこと
今はEkolokalを本職として活動しているが、昨年までアマゾン・ジャパンでも勤めていた。知る人ぞ知る、アマゾンの会議はちょっと特殊。その特殊性から学ぶこととは。
会議の3分の1は沈黙の時間
カジュアルな打ち合わせを除き、資料を用いた会議では必ず冒頭に沈黙の時間を設けなければならない。30分のミーティングであれば10分、60分なら20分、90分なら30分と、おおよそ会議時間の3分の1は沈黙で始まる。
集団瞑想をしているわけではない。
この沈黙の時間で、全員が会議資料を読んでいる。
ほとんどの会社では「資料は事前に目を通してください」とメールで案内される。もしくは当日資料が配布されて、じっくり読む間も無く会議が始まることだと思う。
これで、事前に資料に目を通す人は会議参加者の何%だろうか?
なんだかんだ忙しさに追われて、会議片耳に資料を飛ばし読みするのがオチではなかろうか。当日配布されてもおそらく同じではないかと察する。
アマゾンでは「誰も事前に読まないだろう」ということを認め、しっかりと全員が資料を読み込む時間を会議中に設ける。こうすることで、「読んだ・読んでない」の<大人のごまかし>が無く、踏み込んだ議論が展開できる。
大人のごまかし
他にも生きていて<大人のごまかし>は多々あると思う。社交辞令もあるが、それ以外にも存在すると思っている:
「いつも見てるよ!」と言ってあんまり見ていないYouTubeのチャンネル
保育園の送り迎えしかしないのに「イクメン」だと自負するパパたち
「いつかヴィーガン食べてみたい!」と言って一向に試さない人
「後で読もうね」と親が子供に言って、読まずに終わった本
私は約3年前、とある研修を受けてから、自分が数多くの<大人のごまかし>を行っていることに気付き、今では極力しないように意識している。
なぜなら、一番に、自分の魂のようなものが無意識に削れていくことに気付いたからだ。
前半しか飛ばし読みしていないのに「会議の資料読みました」と主張して述べた意見。大したことないようで、どことなく罪悪感を覚えないか?私はあった。
「会おうね!」と言って予定を合わせずいつの間にか1年、2年経った友人。あの「会おうね!」はお互いに何だったのだろうと気になったりする。
薄々気付いてはいたが、その研修で確信したのが、これら一つ一つのごかましは小さく感じても、自分はどこかでずっと気になっているのだ。
その「気になる」の積み重ねで、気疲れしたり、ふとした瞬間全てがどうでも良くなったりした。
要は、小さいようで、小さくない。
社交辞令もその他<大人のごまかし>も、ちょびりちょびりと魂を削っているんだと私は思う。
思ってもないことは口にしない
魂を削らないようにするには?
意識的に<大人のごまかし>を辞めることだと思う。これ、言うは簡単で、当初はものすごく労力を使った。
「後で見ておきます!」(あ、見るつもりないのに)
「今度ランチ行こうね!」(あ、特にこの人と行くつもりないのに)
「それいいんじゃない?」(いや、絶対それ続けたら良くない、って思ったのに)
…のように、1日に数え切れないほどの<大人のごまかし>をしていることに唖然とした。意識して自分が口にすることに耳を傾けると、とんでもない嘘つきだな、とがっくりしたくらいだ。
あれから3年
今ではほとんど<大人のごまかし>をしていないと自負している。それでいて何が変わったか?定期的に「人生疲れた!」のような謎の気疲れは訪れなくなった。
また、大したことのように聞こえないかもしれないが、一日一日がスッキリ過ごせている。少しずつ心の中で積もっていく『守られなかった約束』の山は無くなり、気がかりがほとんど無い。
集中力も上がるし、マインドフルネスにも抜群に良い。
どうですか、これを読んでくださったなら何かのご縁。
今日から意識的に心にないことを口にするのは辞めません?