夢と希望とあるがまま
今日から季節が変わったことが
はっきりとわかった朝だった。
今までも何度も感じたこの感覚。
境界線を引く、という言葉は
まだ幼かった頃から私の中に在って、
時々なんとなくリピートしては
自分自身の現在地を確認したり、した。
幼い私は幼くても既に私自身だった。
父の転勤で、私の思いとは関係なく、
居場所が変わったがどこにいても
「私は私」だった。
私は自分の中にいる私に問いかけるのが
好きだった。大人になってから
「客観的に」とか「俯瞰して」とかいう言葉を知って、思考の中にも入ってきたけれど、その言葉を知る以前から、
私はそのような状況を「想像」の中で
作っていたのだ、と少し大人になった今、
自分の幼少期を振り返ったりする。
そういうことを考えるとき、
子どもは小さく幼く弱く混沌としていて
助けが必要な存在などではなく、
すべてを知り尽くし、
その小さな体の中に
「夢と希望とあるがまま」を備えた
とてつもなく偉大な存在であることや
言葉が話せない新生児であってもまだ、
胎児であっても、
すべて見えていてすべて知っている
存在だという事が理解出来ると思う。
少なくとも私は、出会うすべての
「小さな人」を心から尊敬している。
そして、今はもう立派な大人になっている人も昔は小さな人だった、と考える時、
出会う人すべてに愛しさを感じる。
川の流れに身を委ね、スイスイと
軽やかに進む。
私にしか出来ないこと。
私なら出来ること。
人はそれぞれ、
懸命に自分の仕事をしている。優劣なし。
地球上の命すべて 今この時に存在して
自分のあるがままに生きていけるのがいい。
0歳から6歳までの育つ環境を
整えることは、その土台を作ることだ。
引き寄せ、道を開き
楽しいを体験しながら
描いてる未来に
みんなで行こうよ。