FBライブを”ポチッ”から癌サバイバーに 第4話
準備 皮下ポ-ト
8月13日からの放射線、14日から抗がん剤治療と知らされた。月から木までは通院での放射線照射、金から日までは抗がん剤投与入院。金曜日は放射線と抗がん剤治療が重なった。
兄が「食事ができるときにいっぱい食べって」送金してくれた。兄の気持ちに心から感謝。フランスに住んでいる姉もパ一トナ一と車で来て、壊れているタンスやトイレの便座のふたもなおしてくれ、お庭の芝刈りもしてくれ、本当に助かった。神戸にいる80歳の一人で住んでいる母には心配するので伝えなかった。この30年いつも時差関係なく好きな時に電話をしてくるので、私の病名を知ったらコロナ禍であろうが、ドイツに来そうだし、夜中でも電話をガンガンかけてきそうで、治療に集中したく伝えなかった。
身体が弱くなる前にしなければならないことがたくさんあった。私は食料品の買い出し、娘に洗濯機の回し方や、お掃除、ご飯の炊き方、お味噌汁の作り方を教えた。娘たちには病名を伝え、絶対治るから心配しないように、そしてママを助けてほしいとお願いした。担任の先生にも事情と学校からの連絡事項にすぐに応対できなくなることも伝えたところ、とても励まされる返信を頂き、感謝の気持ちでいっぱいになった。
会社の上司にも病名と仕事を続けたい意思を伝え、13日からの治療になるため、勤務時間をフルタイムからパ一トへの変更をお願いした。日本人上司は、「自分も癌家族なので、できるだけ応援したい」っと言ってくださり、とても嬉しかった。しかし後ほど、この日から私のポジションの募集をかけていたことがわかり、ショックだった。ドイツは病人は解雇できないが、試用期間中は理由なく解雇可能。ある意味、当然の結果で、あの時すぐに解雇せれず、引き続き1か月雇ってくれたことに今では感謝だ。
抗がん剤で脱毛するので、歩けるうちにウィッグも探したほうがいいと知人に言われた。近所のお店で人毛のを大変気に入った。14万円ほどで私の負担は2万ほど、残りは健康保険から支払われるとのことだった。「えっこれも保険から!?」驚きの連続だった。とりあえず、取り置きをしてもらった。
局所麻酔による皮下ポ一トの埋め込め。すべてが一人で不安だった。これでもかというぐらい、たっぷりと右の肩下を広範囲で消毒された。本当に十分に麻酔が効くのか怖かった....どう麻酔をされたのか記憶にない。担当医師は、私にどこから来たのか、世間話をしはじめた。気が付くと終わっていた。4,5日間、皮下ポ一トが埋め込まれているのをうっかり忘れ、腕を上げたりすると激痛が走り、思わず叫び声をあげ、娘が何事かとびっくりした。
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