見出し画像

春の息吹と無常の教え

梅の花が咲き、鳥たちも賑やかになってきた。
まもなく春がやってくるのだ。

春の訪れは、私にとって特別な意味を持つ。
3月生まれの私は、春の息吹と共にこの世に生まれた。

はっきりと覚えているわけではないけど、冬の寒さが和らぎ、柔らかな陽光が大地を包むこの風景が、きっと私の最初の記憶なんだろう。

冬の間、私はどこかいつも落ち込んでいた。
年が明けても気分は晴れず、頼り甲斐のあった父の背中は、いつしか小さくか弱い背中に変わり、自分もまた歳をとったことを実感した。

決して嫌じゃないけど、本当に今のままでいいのか。
具体性のない不安が、いつも頭の片隅に存在していて、そんな時だからこそ、春の訪れが待ち遠しかった。自然が目覚める春は、新しいスタートを切るための力を与えてくれると信じていたからだ。

幼い頃、父と母に手を引かれながら桜の咲く、近くの公園まで歩いた記憶がある。桜の花びらが、空一面に広がったピンク色の空は、私にとって小さな魔法のようだった。

「桜はいいね」なんて、誰もがこの季節につぶやいてしまう言葉を、父と母が微笑みながら呟いていたのをぼんやりと覚えている。その頃の私が、春の訪れがどれほど大きな意味を持つのかを知る由もなかったが、子供なりに気持ちが高鳴っていた。

その頃から何年が経っただろう。桜の花は、私にとって特別な花となった。いや、私だけではなく、きっと多くの方にとって桜は特別な花なのだと思う。

厳しい冬にも必ず終わりがあり、春が訪れ、新しい始まりが訪れることを、桜は私たちに教えてくれるのだから。

そして無常なこの世界は、美しかった桜の花が咲き誇り、その桜もいずれは散りゆく。どんなに美しい瞬間も永遠ではないということも教えてくれるのだ。

だからこそ、一瞬一瞬が貴重であり、私たちはどんな瞬間にも今を生きる意義を見出すことができるのだろう。

桜の儚さは、すべてのものが移り変わり、留まることのないこの世界で、美しさを保ちながら、私たちに人生の真理をささやく。全ての終わりは新たな始まり。

春の教えは、私たちがどのように生き、どのように愛し、どのようにまた立ち上がるかそう問いかけてくれるのだ。

いいなと思ったら応援しよう!