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人生の熱量

合理的に考えれば考えるほど、本質的な幸せとはどんどん離れていくように感じるから。

非合理な方を選んでみたいなって、そう思う。

ミュージカルのオーディションのシーンを仕事の関係で生まれて初めて見ることになった。

応募してくれる子供たちの熱意は、合理性なんてなくて、ただ一生懸命に今に熱量を傾けて挑む。

その姿勢に感動してしまって。

合理的で、少しでも楽に、少しでも多くを手に入れたいなんて望む気持ちをもっている自分がすごく嫌だった。

面倒くさくて、予測もできなくて、無駄になる可能性の方がたかくて。

その先にあるもののほうが、幸せの形をつくるカケラになるんだって、オーディションの子供たちから学んだ。

今朝は信頼する方とそんな日常の抽象的な話をした。

結論のない、こういう話の中や、この会話自体が哲学的で幸せ。

生きているのに答えもないし、人生に正解もないから、大切なことってなんだろうね?

ってそんなふうに時折話せる人と、話せる場所があるってことだけで、十分なのかもしれない。

私も熱量高く、打算的にならずに、生きる人になりたい。

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