夢や目標という大義名分の裏側に
いつからだろうか、新月や満月の日に願い事をノートに書くことが習慣になった。月に2回ほどこれから叶えたい10個の願いをノートに書き出してみる。するとノートの中は、まるで宝石のように輝く希望に満ちた言葉たちで溢れていた。
ふと過去の願いを振り返ってみると、どれもこれも眩い言葉たちが並んでいて、なんだかそれは、自分が書いたものと思うことができなかった。叶った願いもあれば、手放してしまったものも、すでに辞めてしまったものの多さに気がついた。そもそもわたしが本当に望んでいたことだったのだろうか。
数日間、モヤモヤとした思いを抱えながら、本当の自分の願いを知りたくなった。ぼんやりと過ごしたり、ノートに書き出したり、本を読んだりして、自分と対話するような時間を過ごしていた。涙こそ流れなかったものの、心の奥底から何かが込み上げてくるのを感じた。
わたしは、うまくいかなかった自分や、何もできない無力さ、消え入りそうな自尊心を見たくなかったのだ。夢や目標という大義名分の裏に、わたしは本音を隠してしまいたかったのかもしれない。
今、わたしに必要なのは、少ししゃがみ込んで元気をなくした自分にそっと寄り添うことなのかもしれない。時には立ち止まり、自分自身を見つめ直すことで、本当に大切なものが見えてくるのかもしれない。
自分の心の声に耳を傾け、無理をせずに歩んでいくこと。それが今のわたしの本当の願いのように感じている。ときに立ち止まる勇気をもって自分を見つめ直す。そうすることで、私たちはより強く、より優しくなれるのかもしれない。
輝く本当の夢を描くのはもう少し先にとっておくことにした。