人生には花の咲く時期というものがある
今年は暖冬らしく2月入るとすぐに、電車に乗り込めば、コートが邪魔になるほどに気温も上がり、私の住む鎌倉では、梅や桃の花が、あちこちで咲きだした。
いつもせわしない私のようで、例年以上にその姿に目が奪われてしまった。
自然から学ぶもの
冬の間は、葉を落とし、この木々に花が咲くとは思いもしないような、寂しい姿の木々たちにも、その季節が来れば、一斉に、黄色やピンクの、鮮やかな花を咲かせる。
自然というのは、奇跡のような事を、当たり前のように、毎年毎年繰り広げていくから、私も自然の前では、無力になってしまうのだと思う。
自然の営みを感じながら、ある言葉を思い出した。
古代哲学者のことば
「一羽のツバメが来ても夏にはならないし、一日で夏になることもない。一日もしくは、短い時間で、人は幸福にも不幸にもなりはしないのである。byアリストテレス」
急ぎ足で春を迎えた花たちに、いつも忙しない自分を重ねてみたけれど
どうもそれは少し違っていたことに気が付いた。
春の花は春にさき、夏の花は夏に咲く。
その瞬間を間違えることはなく、
その季節にはその季節なりの姿になっていく。
種が落ち、土に根が張り、茎が伸び、葉が広がり、つぼみを膨らませ、花が咲く。そして花は枯れ、やがてまた、種が落ちる。
その順番を自然は間違えることはないのだと気が付いた。
今の私は何かを成し遂げなければいけないと、いつもいつも焦っている。
それはまるで、一年中、きれいな花を咲かせられないと自分を責めているようだった。
この焦りをごまかすように、次々に予定を入れていったりしてしまう。
真っ黒く埋まっていく手帳を眺めて「何か」を成し遂げているような錯覚が出来たのだと思う。
欲と焦り
なにかが欲しい
なにかになりたい
どうしてそこまで、成果を欲するのか自分でもわからないけれど、
安心できるような「何か」が欲しいのだと思う。
なにかが欲しい
なにかになりたい
その思いは、時には良薬となり、人生をさらに豊かにしてくれるのだと思う。
ただ、そればかりに心が支配されてしまえば、それはむしろ、毒薬になってしまったのかもしれない。
咲き始めた花達を見ていたら、ふと、そんな風に思えてきた。
『種が落ち、土に根が張り、茎が伸び、葉が広がり、つぼみを膨らませ、花が咲く。そして花は枯れ、やがてまた、種が落ちる』
少し勇み足の花だとしても、この順番が間違う事はないのだ。
どれ一つとっても、無駄な時期は一つもない。
花の咲かない冬のような時期を超えて
私も、この花達と同じなんだと思う。
花が咲く時期もあれば、そうでない季節もある。
きれいに花を咲かせて、注目してもらえる時期なんて
それ以外の時間に比べたら、ほんのわずかだ。
人生も、花と同じで、きっとそんなものなんだろう。
誰に見向かれることのない季節が、
どんなに長いものだとしても、花のように挫けずに過ごしていく
それが自然な生き方なのかもしれないと
私の、肩の荷が、少しだけおりたような気がした。