
第13回 自力の視力回復体験談 0.1以下から0.7まで1年4ヶ月 ~私の近視歴⑦ 中学1年時の挑戦の決意~ 星の力
神奈川県横浜市戸塚区の女性ライダー弁護士西村紀子です。
一人の弁護士として、一人のライダーとして、そして、一人の人間として、日々感じたり観察したりしたことで、皆様のお役に立つと思えることを、つぶやき発信していきます。
本日は、『自力の視力回復体験談』。
年齢40代半ば、
視力0.05~0.06(乱視あり)、
左は緑内障(眼圧等により視神経が欠損し、視野が欠けていき、ひいては失明に至る恐い眼病)あり、
メガネ歴33年(コンタクト歴25年)、
であった私が、一念発起により、
1年4ヶ月で、視力を0.7(運転免許眼鏡等条件解除)まで回復することができました。
この体験から、多くの近視の方達に、
実は自力で視力回復できる可能性が高い
ことをお伝えするための企画です。
本日は、第13回。内容は、“私の近視歴 自力の視力回復を目指すまで⑦”です。
中学校入学早々の視力検査で「0.1」となったことを、夏休み過ぎて、やっと親に言い、眼科に行くことになった私。
ファミコンをやめて九州で星を見たりして、少しは視力が回復しているのではないかと期待したものの、結局、眼科で測った視力は、無情の「0.1」。
ワンワン泣きました。
その後、私は、親に連れられて、デパートのメガネ屋さんに行き、メガネを作成しました。
メガネ屋でのやりとりの詳細は覚えていませんが、せめて、少しでも良い(感じの)フレームを選んだ記憶があります。
それにしても、当時は、メガネの値段が本当に高かったものでした。
この時買ったメガネは、4万円前後でした。
随分と高い買い物を親にさせてしまったものです。
さて、眼科でワンワン泣いた私でしたが、メガネの生活はわりとすんなりと受け入れました。
まず、なんといっても、
"自分だけではない"
というのが、メガネ生活を受け入れる一つの安心材料でした。
当時、メガネを使っている子供は、それなりにいました。
そして、私が"こんな子を目指して勉強したい"と考えた勉強のできる女の子達が、すでにメガネを使っていた、ということもありました。
"私もこの子達の仲間入りしたということかな・・
(私がメガネになった原因はファミコンだけど・・・)"
なんて考えて、自分を慰めていたのです。
また、メガネは、いつもいつも掛けるものではなく、眼科の医師の先生のお話のとおりに、授業中だけ掛けていました。
いつもいつもメガネを掛けなくてはならないわけではない、というのも、一つの安心材料だったのです。
そして、、、
私は、親戚の女性が言ってくれた
「星を見れば視力が上がるよ。治るよ。」
という言葉を諦めてはいませんでした。
中学1年生の秋、私は、改めて、星を見ての視力の自力回復に挑戦することを決意したのです。
(続く)