この世のどこかに、
この世のどこかに、
誰かはわからないけれど、
自分のことを心配し、応援してくれる人が必ずいる。
ーそんな思いに至った幼いころの経験を書く。
見ず知らずの人に本を買ってもらったという経験だ。
私はひとりで本屋さんやパチンコ屋さんをうろうろしていた。
2,3歳の頃だ(そう判断した理由は後で記す)。
その間、母は映画館で映画を見ていた。
ふと気になって母に電話で尋ねてみた。
なぜ私はいつも映画館の外にいたのか。
母は言った。
洋画を見ていた時、男が子どもを逆さづりにする場面があり、
それを見て“はまざ”が大声で泣いたから。
大声で泣いた私は映画館の外に出され、母はひとりで映画を見続けた。
父はその時パチンコをし、私の居場所はそこにもなく、
街をさまよっていたのだ。
その日がきっかけだったのだろう。
それから母はいつも映画を見るときは私をひとりにした。
母の記憶では、車に私を残しておいたという。
「夏で蚊がいるから蚊取り線香をつけっぱなしにしてた。
今思うと火事になっていたかもしれなくて、おおごとだったね」
(いやいや問題はほかにもあるだろう、と今だから思うが)
おきっぱなしにされた私はひとり車を出て「ぶらぶら」し、
父や母が帰るころ車に戻っていたのだろう。
車の記憶は全くないけれど。
「妹は?妹は、生まれてなかったの?」
私は思わず問うた。
母は笑いながら言う。
「どうしてたんだろうね。
生まれてたと思うけど、失礼ながら、あの子のことは全然覚えてない」
私はため息をついた。
妹が車の中でおとなしく寝ていられる年ごろであれば私は2,3歳。
保護者の見当たらない小さな子どもをとりまく大人たちはどうだったか。
覚えているのは、日焼けしたおじさんの手だ。
顔は覚えていない。
本屋さんで本を見ていた私に絵本を買ってさしだしてくれた、その手。
どうしてその人は私に本を買ってくれたのだろう。
それも覚えていない。
後になって悟ったことは、
誰かはわからないけれど、私のことをいつも遠くで見ていて
気遣ってくれる人がいた
という事実。
今では考えられないような牧歌的なできごとだ。
でもそれのおかげで私は「信じる」ということの第一歩を知ることができた。
もっとも、この話を夫にしたら、
「車に蚊取り線香とか、死ぬで。」「子どもをひとりにするな」
と、親に対しての憤りのほうが強かった。
それは、そうかもしれない。