我が母校オケ部の演奏旅行 Wiena, Austlia
もう本当に幸運だったとしか言いようがない。
名もなき女子高のオーケストラ部が、クラシックの本場で自分たちの演奏を披露する機会を授かったのだ。
そしてこれが、私にとって人生初めての海外旅行となった。
今回マレーシアに来るにあたり、関西の実家にある自分の荷物を整理しておこうと、本やらマンガやら映画/芝居のパンフやら文通していた手紙やら、出てくるわ出てくるわ過去の遺物の中に、この演奏旅行について記した旅ノートを発掘した。買い物したときのレシートがはっつけてあったりして、自主的に、というより学校から「つけておきなさい」と宿題が出てたのかも知れない。しばし、20年以上昔の自分との対話が始まる。
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3月X日
今回の旅程を少し説明すると、いきなりウィーンへ行く訳ではなく、スイスの国境に程近いシュルンスという小さな町で宿泊&練習&演奏後、列車でウィーンに向かい観光&練習&演奏し、帰国するというもの。10日から2週間程度だったろうか。当時は関空からの直行便がなかったため一旦フィンランドでトランジット、スイスから陸路でオーストリア、シュルンスへ。
<当時の私>
初めての海外やしやっぱ緊張してる。長距離フライトももちろん初めて。長距離バスかて乗ったことないのに。
つらい…どうやら生理も始まったみたい…
うう、めっちゃ気持ち悪い。飛行機乗り過ぎて、乗り物酔いもしてるっぽい。もう嫌や。帰りたい。
3月X日
終日移動の疲れと時差ボケは残っているが、そこは10代の若さで吹き飛ばし練習三昧。
これが、観光目的でない旅行のつらいところ。
3月X日
いよいよシュルンスでの本番を迎える。日本で売ってる紙の世界地図だとまず載っていないという小さな町だが、海外の人に自分たちの演奏を聞いてもらうという事実が更なる緊張感を呼び寄せる。
<当時の私>
むぐぐ…うまく演奏できるかな…おなか痛くなってきたかも…
今日のステージはホール違くて体育館やし、音響全然よくない。けど贅沢は言ってられん。
演奏、楽しんでもらえますように。
演奏後、大きな温かい拍手をもらえたときは感無量。
その後町の若者たちとの異文化交流の時間が設けられていた。
<当時の私>
ホンマにあんたらうちらと同世代?同じ10代後半なのになんなのその大人っぽさ!色気!
はーこれがヨーロッパ人という人たちなのか…
打ちひしがれる中、やたらと陽気に絡んでくる10代前半くらいの男の子と意気投合し、肩組んだりして写真撮りまくった。現役で英語を勉強していると言っても英会話は習ってないってば。たどたどしすぎる私の英語、どこまで通じたことやら…
3月X日
ひとつ大きな本番を乗り越えた安心感からか、ここいらでぼちぼち体調不良で倒れる生徒たちが出てくる出てくる。
我が母校、中高一貫の私立校でありました。オーケストラ部は中学生も入れると総勢100名近い大所帯。確か1/3から半数くらいは、その症状に重い軽いはあったものの、発熱、下痢、嘔吐等の症状を訴えていたはず。
<当時の私>
外国で病気とか…(゜-゜)
なんとなくうちも熱っぽい気がしてきた…
もともと平熱高めやし、これくらいならまだ大丈夫やろ…
ていうかAちゃんBちゃん大丈夫かな?めちゃくちゃ顔色悪いし…
せっかくウィーンで演奏できんのに、ステージに上がれへんのちゃうか?
今なら、当時の指揮者および引率の先生、同行してくださった看護師さんの気苦労が痛い程わかります。
先生方だって海外経験豊富でもないだろうのに、病人の生徒を何人も抱えつつ、明日は一路列車にて、ウィーンまで辿り着かねばならなかったから。
3月X日
シュルンスに別れを告げ、ウィーンを目指す。列車5時間の旅。
途中、冬季オリンピックが2度も開催されたインスブルック、モーツァルト生誕の地ならびに「サウンドオブミュージック」の舞台として有名なザルツブルクを素通り。
3月X日
練習の隙間を縫って、たった1日だけのウィーン観光。
観光バスで主要スポットを、あるときはバスから降りて自由散策、あるときは目の前を通り過ぎながらガイドさんによる解説を聞くだけという、超強行スケジュールでございました。
これが、観光目的でない旅行のつらいところ。(再掲)
<当時の私>
うわぁーぃハプスブルク家のシェーンブルン宮殿!山吹色でめっちゃ綺麗やなー
ここにマリア・テレジアが!フランツ・ヨーゼフが!!エリザベートが!!!(≧▽≦)
シュテファン大聖堂もなんと…ゴシック建築やったっけか?めちゃくちゃ綺麗やな!!
めっちゃテンション上がってその辺で風船を配ってた人から大量にプレゼントされたけど、「邪魔!!!!!」って観光客だか地元民だかのおばさまにキレられた…(´・ω・`)
ご、ごめんなさい…
旅の恥を搔き捨ててしまった…
それにしても楽友協会、ウィーンフィルがニューイヤーコンサートやるところ、一応これでもオケをやる者としては下車して近くで見たかったな。
つーかこれで観光したって言えんのかなぁ…
(T_T)
3月X日
さぁ遂に、ウィーンのみなさんへ私たちの演奏を届ける日がやって来た!
この日はさすがにきちんとしたホール。
<当時の私>
\(゜ロ\)(/ロ゜)/
\(゜ロ\)(/ロ゜)/\(゜ロ\)(/ロ゜)/
\(゜ロ\)(/ロ゜)/\(゜ロ\)(/ロ゜)/\(゜ロ\)(/ロ゜)/
もう緊張しすぎてて何にも覚えてない…
あ、ひとつだけ。
ここでも大きくて温かな拍手をもらえたことだけは、朧げに記憶にある。「わざわざ東の端にある島国からやってきた女子高生が、よく頑張ってるね」という感じだったのかも知れませんが。
4月X日
同世代ヨーロッパ人の大人っぽさにヤラれたり、病人が大量に出ててんやわんやしたり、観光中はしゃぎすぎて怒られたり、緊張しすぎて何演奏したか覚えてなかったり、ジェットコースターのような初海外演奏旅行でしたが、いつか終わりがやってくるもの。
<当時の私>
いろいろあったけど、たのしかったかも。
日本食とかお風呂の湯舟とか恋しいし帰りたいけど、帰りたくないような気もする。
このまま直で関空へ戻らず、帰りはトランジットのフィンランドにてつかの間の観光が待っておりました。つづく。
※1998年3〜4月のおはなし。