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「生きていてくれるだけで幸せ」

アトピーの続きを書こうと思っていましたが、
過去のことを書くのは、もう過ぎたことって感じで、とてもエネルギーが必要なので、、

今日は、
【母への試行錯誤を経て気づいたこと】

そして、
【学びによっての自分の変化】

を書こうと思います。

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母が病院で「認知症」と診断を受けてから、確か1年2か月くらい。

その2、3年前くらいから、「あれ?」ということが出てきて、最初は物忘れ外来というものを探して相談に行った。

でも「物忘れ外来に行ってみよう」と言うのもすぐには言えなくて。
言えたのは、3、4ヶ月は過ぎてからだったと思う。

そんなことを言葉にしたら、母を傷つける気がして、そして、それが現実になってしまう気がして、
誰にも話すことがしばらくできなかった。

物忘れ外来へ行った頃、そこの先生からは
「認知症までではないと思うので、様子みましょう〜」という感じで、
母と2人で本当にホッとして、帰ってきたのを覚えてる。

でも、このまま何もしなくていいのかな…
何をしたらいいのかな…と思いながら、
食事とかを改めて気をつけるくらいで、
認めたくない気持ちもあったから、このまま過ぎてくれたらいいな…と、母の言動を気に留めながら過ごしていた。

そしてコロナがきて、全く外出できないような世の中になった頃、

気づいたら、顔つきも違うような、
ボーッとした感じになっていて、
白菜などの野菜を見て「これってなんだっけ?」と言われた時は、ショックで1人で部屋で大泣きをした。

普通の物忘れとは違う、、と直感的に感じていたけれど、
その直感は最初、とても受け入れがたくて、母に「違うでしょ⁈  〜でしょ!?」
みたいに強く言ってしまったり、

瞬間的にイラッとして、正そう、直そうとしている自分がいた。

「しっかりしてよ!お母さん!」というような、
普通でいて欲しい、ちゃんとしてよ、という気持ち。

いつも台所で押していた給湯器のスイッチを見て「これってなんだっけ?」と父に言った時は、父もびっくりして「何言ってんだ!」と怒ってしまったことをあとで知った。

私も父も、思いもよらない母の言葉に衝撃とショックを受けながら、
受け入れられない、信じたくない、認められない気持ち、
そして母がおかしい、ということの悲しみも受け入れられなくて、
無意識に怒りになっているんだと途中で理解した。

言葉が出てこない、
以前より、洗濯物を干すのにすごく時間がかかっている…?
夕飯のメニューが、同じような野菜炒めばかり作る…?

どうしよう、、どうしよう、、怖い、なんでこんなことに!涙

そんな中、デトックスするものを取り入れていた私は、アトピーが大爆発。
特に脇の下や背中、胸まわりあたりが大炎症でただれた状態になり、
息をするのも辛い状態に。。

とにかく一旦、その取り入れていたものをやめて、少し炎症は治ったものの、普通の生活なんて全くできない状態に。

今まで飲んでいたものなどもあったけれど、
それではこの状態を戻せる気がしなかったので、ここから治していく治療を模索しながら、
毎日、起きてからは母の部屋へ行き、
一緒に過ごすようにした。
1人でボーッとさせたくないという思いで必死だった。

全身炎症とボロボロの皮膚で、家から一歩も出られなくなった私は、
母と一緒にご飯を食べたり、
お茶を飲んだり、天気の話をしたり、
講座を受けて習った家でできるアトピー改善のお手当をしてもらったり、、

世の中から隔離されたような状態で、母と1日中一緒に過ごした。

コロナで世の中も閉じこもっていた時だったので、
自分にとってはなんかありがたいというか、救われていた。

夢中で認知症改善の情報を調べたりしていたけれど、まずはやっぱり病院へ行って、はっきりさせないとと、
母のお友達で以前から整体をお願いしていた方に、泣きながら連絡をして、病院へ連れて行ってもらうことになった。
そして診断された。

とても良い先生だったみたいで、母も家でボーッとしていては良くないんだと理解してしたみたいだったけれど、
自分は特に大丈夫、と思っているので、色々なことがスムーズにはいかなくて、
でも、お金をなくしたりということも起こったり、
本当に気がおかしくなりそうになった…。
(もっと進んでいる方の家族がどれだけのことかと思うと本当に恐ろしいし、心が苦しいです)

病院へ行ってもらうことでも、家族で大喧嘩。(いざとなると母は「私そんなにおかしいの?!私は行きたくない、行かないから!!💢」とキレ出すことになります)

通帳をどこにしまったか分からなくなり、場所を決めても、そこからまた移動してしまい、それを忘れてしまって、また探す。。

今までのようにスムーズに話が通じなかったり、色々あるその度に、
母がそうなってしまった悲しみと、ものすごい不安や罪悪感とで心乱れて大泣きを何度もした。

自分のこと+母の不安、心配、何かしなければ、という焦り。
(薬ではない何かで進行を止める・遅らせる・改善できないかという気持ちなのです)

もう私無理かも…
そんな気持ちが生きてきて始めて湧いた日々だった。

今まで友達にも、悩みを相談するとか、泣き言や弱音、愚痴っぽいことなど、ほとんど言えなかった、言わなかった自分。

「愚痴が言いたい訳じゃないし」
「マイナス聞かせても悪いし、、」
「アトピーのこと言ったって、負担になるだろうし、言っても解決しないし…」

それより、解決するために、専門家のカウンセリングやセラピー受けたり、
本を読んで自分で解決してきた。

でも今回、人生初めて、もうそれが無理になった。。

友達やメンター的な方達に、人生で始めて泣いて電話をし、助けを求めた。

そしてそこからまた新しい出会いによって、どうにか支えられて、
不安や絶望から少しずつ這い上がってきた…。

そして、1年過ぎた今、思うこと。。

母や両親、
『生きていてくれるだけで、ありがたい…』
生きていてくれて、一緒に過ごせている、本当にそれが幸せ…

まだまだ泣きそうになってしまうけれど、
そう思えるようになった。

今でも不安に飲み込まれそうになったり、
これで大丈夫か?
他に何か取り入れた方が良いのでは?

色々考えたり、心配になってしまったりするのだけれど、

言ったこと忘れてしまったり、
前みたいにできないことがあっても、

別に、死ぬわけじゃないんだから、別にいいじゃん⁈どうにでもなるじゃん⁈
大したことないじゃん。

って思えるようになった。


「ちょっと〜お母さん!こんな所にあったよ〜😆笑」とかって笑えば、
母も「あれ〜笑」と笑う。

そんな風にできるようになったら、
認知症と言われる前より、なんだか幸せな感じがした。
幸せを噛み締めている自分がいた。

ちゃんとやりたい自分。
ちゃんとやらなきゃと思ってしまう自分。
きっと完璧主義的なところもある私。

母のお陰で、自分を変えてもらってるんだなって思った。

起こることは、すべて良いこと。

本当にキツい時は、そう思おうとしても心がついていかないけれど、

苦しさや辛さを少し超えた今、
頂いた教えも受け取れるようになってきています。


空気が吸えて、
生きられているだけで、幸せ。

家族も、生きていてくれるだけで、幸せ。

この次元に立ち戻り、そこにまずは意識を向けて覚悟していくと、

見える世界が変わることを感じてきている今日この頃です。

苦しい時も、共感し合える方達と出会い支え合って、慈しみ合って、

最高で最善な人生を、
ここから改めて生きていきたい、という想いです。


ダラダラ長くなっちゃったかな。

最後まで読んでくださって、ありがとうございます🌸

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