産まれる前から虐待される事は決まっていたのか…2
お尻を叩かれる毎日…そして、自由のない生活。遊びたいと思っても、限られた遊びは、お菓子作り、ままごと。それも、同じ宗教の子供と聖書の勉強の後。習い事は、5歳からピアノを習い始めたが、同じ宗教の先生。同じ宗教の生徒。もはや、宗教一色。
そして、毎日のように、訪問してくる宗教の人。母はどんどん宗教へと汚染されていった。家にある、行事関連の物をどんどん捨てていった。ひな祭り、仏壇、ありとあらゆる、宗教の神様への冒涜となる物は、処分された。
母の異変に気付いた父が、宗教に染められていくのを止めるようになった。父が、母が異常だと感じたんだろう。私も父ならそう感じると思う。
母が宗教へとのめり込んだ理由。それは、姉の出生に秘密があった。母が妊娠中に、転んでしまった為、22週で破水してしまい、姉は未熟児で産まれた。今なら、ICUで大きくなるまで、成長を見守って貰えるかもしれない。だが、姉の場合、もう死んでいると病院で言われたそうだ。だが、出産した所、まだ、息があったそうだ。緊急手術となり、知能を取るか、目が見える方を取るか、医師に迫られたと言う。父は、綺麗な景色を見せてあげたいと思い、目が見える方をとったと後に、聞かされた。姉は助かり、障害が残ってしまったが、無事に産まれる事が出来た。私は、姉に会えた事を感謝している。おおらかな姉だと思う。
母は、ずっと後悔している。その日転んでしまった事を。そして、姉を五体満足に産んであげられなかった事を。それは、親となった今なら、納得出来る部分もある。だが、そこで、後悔の念から、宗教に希望を見出していくのは、私は違うと思う。
将来、ハルマゲドンが起きて、全ての悪を滅ぼしてくれる。そして、楽園になり、身体の不自由な者は、子鹿のように飛び回り、宗教の教えを守った人は永遠に生きられると言う、夢物語のような話を、現実世界を全て、宗教の為に生きるといういう教えは、もしも、もしも、叶わなかった場合、何の為に頑張ったのか、後悔しないだろうか…信じているならいい。だが、妹があるが故に、必然的に、宗教に従わなければならないのは違うのでは無いだろうが…意思表示出来るならよい。だが、まだ、物心も付いていない子供、その子供にその価値観を当たり前のように押し付けるのは違うのでないだろうか…そして、それが人生であると決めつけるのは、例え親であっても、許される事では無いのではないか…
父は、どんどん変わっていく母に、悩んでいた。それが、行動となって、エスカレートしていく。
父は母に、暴力を振るうようになった。宗教に母が、完全に入るのを止めたかったと大人になってから聞いた。その暴力は、凄まじかった。でも、私はそれでも、父の意見に賛同してしまう。その暴力がトラウマであっても、私は父のその行動は、納得できる。父は、私を守ろうとしてくれたんだと思う。私を普通に笑顔溢れる家庭で育てたかったんだと思う。例え、障害の姉が居ても、皆んなで寄り添いながら、たまには、旅行に行ったり、誕生日には、お祝いしたりして、普通に育ててくれたかったんだと思う。
父は、私が物心つくくらいの頃、毎日、仕事から帰ってくると、お酒を飲み暴れていた。気にくわないことが、あるとすぐに壁に拳を当てて、家中穴だらけだった。母は、宗教に夢中で、休みの日も私や姉を手放さない。いつも、父は1人だった。父は子供達にはとても、優しくて、よく内緒でお土産を買ってきてくれた。幼い私はそれが、どんなに嬉しかったことか…毎日、閉鎖されたような生活の中、父が時々、くれるお土産。私は父が大好きだった。でも、父は、母に対しては厳しい。どうしても、宗教に入らせたくない。当時10階に住んでいた。父は母をベランダから逆さ吊りにして、宗教を辞めろと言った。だが、母は頑なに聞かない。母と寝ている時に、包丁を持った父が近付いてくる事があった。私は恐怖だった。別に母を刺すわけではない。ただ、宗教を辞めろと言ってきた。だが、母は頑なに聞かない。母は、命の危機を感じたのか、家から包丁が無くなった。実際に殺されると感じた母と、当時住んでいたマンションから、夜中に、父に追いかけられ、同じ宗教の人の家に裸足で逃げた事もある。それでも、母は辞めなかった。その当時の父の顔は今でも鮮明に覚えている。鬼の顔の形相だった。
続く