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障害告知について思うこと

参考になる記事があったので「ムー」さんの投稿を共有します。

子どもへの「障害告知」というテーマ、発達っ子ママの悩みどころではないでしょうか。

今日は、私の考えを書いてみたいと思います。医学的根拠やこうやったらいいよ、というお話ではなく、一人のママとしての個人的な考えです。

うちの小学4年生は一年ほど前に本棚にあった発達系の本を読みながら「これって△△のこと?」と聞いてきたことがありました。
自分の得意・不得意もわかってきているし、本を読んで自分と照らし合わせる、客観的に自分を見られるようになってきているなあ(=メタ認知能力、と言います)と感心したものの、その日から子どもが読めてしまいそうな本は伏せるようにしました。
なぜなら、まだ早いかなあ、まだ必要ないかなあと思ったから。

障害告知をする理由ってなんだろう、と考えてみると、
①自分の取り扱いを知って生きやすくなるようにすること
②自己肯定感、自己効力感を保つこと
③周囲に理解してもらえるようにすること

などでしょうか。

あと、お友達などから先に言われてしまってショックを受けるのを避けるため、っていうのもよく聞きます。

「お友達に言われてショックを受ける」
これ、結構ポイントだと思うのですが、私の中ではお友達に言われてもショックを受けずに「そうなんだ」と自分についてもっと知りたい!と思った時が告知のタイミングのひとつなのではないかと考えています。先に言っておかなくちゃ、と焦らなくてもいいんじゃないかなぁと思っています。

前提として、そこまでに自己肯定感、自己効力感が下がってしまわない丁寧な子育ては必要です。

先日、学校で視覚障害の話を聞いてきたらしく「目が見えない人は何もできなくて可哀想なんだよ」と言ってきました。そこで、目が見えないとはどういうことか、本当に何もできないのかな?可哀想なのかな?という話し合いをしました。
また、車椅子に乗っている子の話も同様にしました。
発達障害は肢体不自由や視覚障害のように外見ではわかりにくいところがあります。
まずは、自分が様々な障害に対して偏見を持たないように、世の中には色々な人がいること、自分もその中の一員で、できること・できないこと(=doing)や何を持っているか(=having)が重要なのではなく存在(=being)自体が尊いんだよと言うことを、他の障害について理解してもらうことで伝えていくようにしています。
まだ理解が難しいところもあるけれど(目に見えない分、大人だってよくわかってないことが多い)、この過程で発達障害についても少しずつ伝えていって世の中多様なんだなあと見てもらいたいと思っています。

そして、もしも誰かからあなたもその一員なんだよ、と指摘されることがあったら、その時はショックを受けるのではなく、自分についてより理解を深める捉え方をしてもらえたらいいなと思っています。

繰り返しになりますが、自己肯定感や自己効力感を失っていては難しい話です。

私は、日々の子育てで、doing,havingを褒める声かけはあまりしません。テストで良い点を取ってきて褒めてほしそうだったら褒めるけど、悪い点数だった時と対応に落差がないように心がけています。テストの点なんかであなたの価値は決まらないよ、という思いからです。

その代わり、折に触れて「生まれてきてくれて嬉しいなあ」「そばにおってくれるだけで幸せ」と伝えています。存在そのものが大事。
腹が立って言い合いしたりすることもたくさんあるけど、「○○なところがイヤだと思ったけど、どんな△△も好き」のとどめは忘れずに刺しています。

もうひとつ、「発達障害」は現在「神経発達症」という表現に代わっていますが、まだまだ浸透しきっていません。
ことばの力って大きいと思うので、「あなたは〇〇障害」と言われるより「〇〇症」と言われた方が、多様な中のひとつ、〇〇症なんだな~と本人も周りも受け入れやすい気がするので、時代よ追いつけ!と思っています。
(『マイノリティデザイン』という本で「運動音痴」を「スポーツ弱者」と変換するのはどうか?という提言があって確かに!と思いました。)

長々とまとまっていませんので、皆さん冒頭の「ムー」さんの記事で頭をスッキリさせてください。

最後まで読んでいただきありがとうございました。




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