人生を照らすわなvol.9『遠出した時は這ってでも土地神様へ』
もし皆中稲荷神社に行けていれば…
先日(と云っても結構前ですが)、くぼコンといういわゆる街コンに、ある友人と行ってきました。
友人は韓国に住んでいたこともあったので「韓国語が久々に使える」とノリノリだったのですが、占いにいささか詳しい私は方位的に宜しくなかったので、いい結果にはならないだろうな・・・と早々に見切りをつけていました。
結果は私が予想した通りだったのですが、期待の大きかった友人は最後のほうはとにかく不機嫌で、不機嫌なのはいいけれど、俺にあたるのはやめてくれって感じでした。
街コンが今一つの結果に終わったのは友人の「くぼコン=韓国」という激しい思い込みを軸に行動したのも原因の一つでしょう。
参加者の女性にいきなり韓国語で話しかけて、結局ドン引きされて「なんでだ!」と怒っていました。
また、思い込みの激しい友人は「好きな歌手は?」と聞いたときに間髪入れずに「槙原敬之とか?」といきなり歌手を限定したために、変な空気になったこともありました。実は彼の妹さんが槙原敬之のファンらしいのですが、それは相手の出方を見ながら、話し出すべきことで、いきなり限定してしまっては、もし槙原敬之のことを相手が嫌いだったときに険悪な空気になること必定です。
今にして思えば、友人は「どうにかせねば」という焦りのあまり、悪い方へ、悪い方へ思考が流れて行ったように思われます。
自分一人で行動したほうがいい結果が出たかもしれません。
実はそう思うのには、近くの皆中稲荷神社、すなわち、その土地の神様に、一人だったらご挨拶申し上げに行くからです。
友人は大山阿夫利神社のご神徳は信じるのですが、自分個人の経験したご利益しか信じない人なので「神社に行きたい」とでもいえば、露骨に嫌そうなことをいうことが目に見えていたのでその時は言い出せなかったのです。
それにお稲荷さんは崇敬を慎重にしないと、かえってよろしくないので、中々近寄りがたかったというのもあります。
結局、その土地の神社にご挨拶申し上げないまま、街コンに突入したので、いい結果にはならなかったのだと今は思っています。
もちろん、それ以外の理由も大いに考えられます。
しかし、ご挨拶申し上げれば、もう少し変わった結果になったのではないかと悔やむところです。
以来、どちらかに出かけた際、占いで吉と出る限りは、その土地の神社に出かけてご挨拶申し上げるようにしています。