一度刺さった剣は一生抜けない。
はじめに
皆さんは過去に人から傷つけられたという経験はあるだろうか。
今回は私が21年間生きてきて、傷つけられた経験とそこから得た学びを書いていきたいと思う。
正直、あまり積極的に思い出したい過去ではない。
では、なぜこれを書くのか。理由はこの2つだ。
・今、同じ思いをしている子どもたちやその保護者の方々の何か参考になってくれたら嬉しいから
・これまで振り返ることを避けて来たが、このまま殻にこもり、”過去の闇”として葬り去るのは嫌だから
この2つの理由から、この記事を書くことに決めた。
いじめ話になる為、読んでいて気分が悪くなったり等した場合は、個人の判断で読むのを中断してほしい。
”いじめ”という経験
私の性格・土地柄
今でこそ、”元気でうるさくて行動力の鬼”という印象があるらしいが昔はそうではなかった。
人見知りで、引っ込み思案で、人前に出ることや話すこと、友だちを作ることが苦手。という子どもだった。
私が育った場所は、いわゆるど田舎。
小学校:1クラスのみの25人(これでも私の学年が最多人数)
中学校:学年41人でギリギリ2クラス(他の学年は1クラスのみ)
小学生時代🎒
そんな子どもが、小学校に入学。人と付き合うのが苦手ということもあってか、学校という場所に馴染めず、別にいじめられたわけでもなかったが、小学3年生と5年生の時にほんの少し、数週間だけ登校拒否をした。
それ以外は、”いじり”というものはたくさん経験したが、特に何もなく普通の小学校生活だった。
中学入学、ピカピカの1年生✨と思っていたが…
小学校を卒業し、中学入学。出身小学校と別の小学校の児童が合わさる形だった。
中学1年時は、比較的積極的な行動をとり、1年生ながら生徒会役員選挙に副会長で立候補、落選。落選後、委員長選挙にも立候補、落選。どちらとも1年生時点では当選とはならなかった。
この選挙立候補で、この先の中学生活がガラッと変わってしまった。
選挙立候補した時から、ハブられるようになり、陰口を言われるようになっていった。時より、登校拒否をするようになり、学校の居心地がもっと悪くなっていった。
正義・責任感を貫こうとすると片っ端から潰される。そんな印象だ。
進級。
4月。中学2年生になった。学校は居心地悪いまま。少人数のため、若干のクラス替え。気分転換することもなく進級。
ソワソワしながら2年生スタート。
序盤は、1年の時と変わることなく、また生徒会役員選挙の時期になった。
再び私は立候補。落選。諦めることなく委員長選挙立候補。その結果、当選し、委員会委員長という役職を頂いた。
悲劇が始まるとも知らず…
休み時間。
無事に委員長となり、これから頑張って行こうと思っていた矢先、事件は起きてしまった。
ある日の給食後の休み時間。男子に外階段へ呼び出された。会話・行動で書くのが簡潔な気がするので、そうすることにする。完全再現は無理なので、大まかな言い回しだが許してほしい。
<登場人物>
男子:A
周りにいた子たち:B
相談したよく話していた先生:C
声をかけてくれた友だち:D
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A:外階段来いよ
私:やだ(嫌な予感がしたから)
B:行けや(大合唱)
私:(居心地が悪かったので教室から逃げる、C先生の元へ行き、状況説明。)
C:そうなんじゃ〜〜
C先生と雑談。時間経過。休み時間終わりのチャイム
C:次移動教室だから、教室戻り〜〜
私:先生、、戻りたくない。。
C:移動教室じゃから、戻らんと行けんよ!!
私:(言い返せず、渋々戻る)
教室
B:なんでAのところに行かんかったんな!!!(大合唱)
私:(早く逃げたい…)
B:大合唱続く…
私:(多分すんごい泣きそうになってた)
D:どしたん?!(私を見て)
私:(机に伏せて大号泣)
ここから私の記憶は数日間ない。あるのかもしれないが、思い出したくないのだろう。一向に思い出せない。
この事件が起こるちょっと前から、実は親にこう相談していた。
学校に行けなくなるかもしれない
当時、行けなくなると感じるような何かあったのだろう。だが、覚えていない。
それほどこの数分の出来事が、13,14歳くらいの私には、どう頑張っても受け止めきれなかったのだと思う。
ここから記憶があるところまでは、後々親や友だちから聞いた話だ
事件発生の放課後
机に伏せて大号泣した後、友だちが担任を呼んできてくれた。そして、別室へ通され、話を聞かれた。何を聞かれたのかは分からない。結構な時間、話を聞かれたそうだ。
その後、学校が終わり、生徒全員が帰るまでは、保健室にいた。
先生に親を呼んで迎えに来てもらうか聞かれたが、自分で帰ると言った。
そして、帰宅。
その日は、たまたま母が早く帰宅している日で、家にいた。いつもなら元気に
ただいま〜〜〜〜!!!!!!
と帰宅して来る私が、静かで暗い表情だったらしい。そして、私は泣いた。大声で泣いた。
その時、担任から電話がかかってきて、状況を把握したらしかった。私は、ご飯も食べずにお風呂に入り、床に就いた。
教室に入れなくなった。
数日、学校に行かなかった。ひたすら寝ていたらしい。何にも考えたくなかったのだろう。ひたすら寝た。
ある日、母が仕事を休んだ。そして、無理矢理学校に連れて行かれた。私は大号泣。来れる先生が総動員で車まで来たそうだ。そして、校内まで無理矢理連れて行かれた。保健室に連れて行かれた。怯えていたそうだ。仲のいい友だちが来るのも拒んだ。人が嫌だった。
そこからどういうわけか、学校には送迎付きで行けるようになった。これまでの過程は聞いたことがないので、書けない。
だが、学校には行っていた。ここから徐々に記憶がある。
なぜ学校に行っていたか。
それは、高校に行きたかったから。高校の入試には、出席日数というものがいったから。
それだけのために行っていた。だが、教室には入れなかった。卒業まで入れなかった。別室登校中も、誰もいないときに教室に荷物を取りに行ったら、机の中に給食のお米が入っていたこともあった。暴れたこともあった。
一生、心に傷を負ったまま
あれから数年。未だにフラッシュバックは起こる。机には伏せれない。ふとした時に起こる。当事者はあの時のことなど覚えていないだろう。だが、本人はひたすら覚えている。心に剣が刺さったままだ。
この剣を抜くことは一生できないだろう。そして、当事者を一生許すということはできないだろう。
今できること・学んだこと
剣が刺さったままでも、被害者ができることがある。
この経験を伝えること。
いじめの被害者は、いじめられている子の気持ちがわかる。
自分が痛い思いをしているから、人にしようなんて思わない。
いじめられるのは辛かった。苦しかった。怖かった。何回も死にたいと思った。
でも、この経験を活かすことが今はできる。生きているからこそ、伝えられる。
あの時の私に伝えたい。
数年後の私は幸せです。君がいたから確実に今を生きれてます。
生きててくれてありがとう。生きることを選択し続けてくれてありがとう。
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拙い長文を読んでくださった皆様、ありがとう!!!
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ではまた次回の投稿をお楽しみに!!
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