「損得を考えて戦争」する時代
【近代的な「軍」の姿】
「戦争をする」と言っても、近代的な軍では、昔の軍とは様相が違う。軍隊の中で実際に前線に行くのは全体の1/3くらい。後は武器のメンテナンスだったり、普段は軍の施設で出てくるゴミ出ししたり、背後で必要な事務をしたり、っていうことになる。しかも戦闘が無ければ前線の兵士は休ませなければならない。武器だけではなく軍服、食料、兵舎、等だってあるし、これらの購入の事務処理もある。これらを支えるには、その背後の社会が健全に動いて富を生み出していなければ、軍は支えられない。もちろん前線で負傷した兵士がいればそれを支える補償金だって必要で、それを出すための事務手続きもある。
結果として現代にあっては「人を使う戦争」は、先進国で行うには非常に高いコストを払う必要がある。そこで、同じ人を使うにも、できるだけ低いコストでそれをする工夫をする必要がある。
【戦後復興コスト負担は誰がどれだけするか?】
さらに、戦争で勝った場合も、取得地域の戦後復興の責任は戦勝国側にあるから、戦勝国では、その支出も考えておく必要があるのだが、過去の例を見ると、戦争に勝ったからと言って両手を上げて喜べるようなことは、今までどこにもなかった、ということがわかる。
【日清戦争で日本が清に勝利したとき台湾は日本になったが】
日清戦争で日本が勝ち、台湾を日本の政府のものとしたが、日本政府は台湾には、当時の日本政府の財政が傾くほどの支出を強いられたことが研究で明らかになっている。このときに日本政府の財政がどうであったか?という研究は実は多くあり、ネット上でも日本政府の文献だけでも多く見ることができる。たとえばこんなものもある。多く国債を発行し特別会計を組まなければ対応ができないのはどこの国でも同じだ。
【戦争に勝利する=予想外の多大な支出】
現代に置いても、例えば日本をどこかの国が占領したとしたら、日本を占領した国が、福島原発の廃炉の責任を負うことになる。それをしなければ、近くにある首都東京と言う、日本の富を生み出す要の都市を失う。それを失いたくないのであれば莫大な支出はしなければならなくなる。
冷静に過去の戦争を眺め、現代の戦争を思う時、戦後復興も含めた責任や支出を考えれば、簡単には従来のような戦争はできない。
【戦争には人を使うな。AIとロボットをフル活用せよ】
だから、現代の戦争は実際にはなるべく人を使わないハイテクの戦争になり、それは前線を支える後方の都市などの攻撃に使われる。そのほうが費用対効果が高いからだ。コスパがいい、ってやつだな。
ちょっと考えただけでもわかると思うが、現代においては太平洋戦争時の「特攻」は、AI機能つきのロボットミサイルでできるだろうし、既にコストが安いドローンで敵国の将軍などを狙い撃ちにするようなことも行われている。
第二次世界大戦、そしてベトナム戦争までの戦争と現代・近未来の戦争が大きく違うのは、デジタル技術の出現なんだな。デジタル技術が、夢のような遠隔地通信を非常に安価にし、国境をまたぐ情報網・インターネットを形成し、特攻隊をAI搭載コンピュータ制御の無人攻撃ドローンに変えた。
【これからの戦争の姿・国防の姿を想像する】
これからは肉弾三勇士も、特攻隊も必要ない。算盤を弾けば人的なコストは非常に高いから、機械化せざるを得ない。現状でも絶対にターゲットに命中するスマート銃があるが、これだってロボットと合体したものが既にある。人は戦場からはるか離れた自宅でその銃を操作すればいい。兵士は在宅勤務でゲームのように、朝ご飯の味噌汁をすすりながら戦闘すればいい、というようにしなければ、戦争は負ける時代になる。
「お父さん、今日は在宅?」
「うん、今日午後3時に作戦あって、戦場に出なきゃならないんだ。オンラインだけどね」
「じゃ、お昼ごはん作っておくわね」
【超高機能戦略防衛システムが敵国を攻めるときは、まず経済を攻める】
AI搭載の超高機能戦略防衛システムは、敵国の中枢である通信システムインフラをハッキングして動作不能にし、敵国経済の混乱を図って、敵国全体の戦争能力を低下させることや、戦後復興にかかる費用対効果も算出して、損得で戦争を遂行する。これからの「兵士」は、歩く歩兵ではなく、経済学者とIT技術者になるだろう。
これからは戦勝国になって占領地復興のための支出で国の経済を傾かせる、というバカなことは、予め回避されることになるだろう。
デジタル技術はじわじわと世界を戦争のないところにするだろう。不確定要素としての「人」というバカな存在は、やがて潰えていく。
人とは何か?戦争とは何か?
デジタルはお金という数字で、その答えを持っていて、戦争という非合理な行動をしてきた人間という不完全な存在をこの世から排除することになるだろう。明確な数字という答えを持つものに、不確定なものは勝てない。
あぁ、あんなに戦争というものがあった時代が懐かしい。
人は、そう呟きながら、人という「種」の命を終える未来を、そろそろ見られる時代に入ったのかも知れない。
人という種よ、終わりにあたって何か言うことはないかね?
言ったところで、誰も聴いていないけどな。