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製造業の国際的構造変化はネットが作った。

【テレビの終わり】
自分の年代だと、小さな頃から「テレビっ子」等と言われた世代なので、大学卒業して結構長くの間は、明らかにテレビ(地上波)というメディアの影響力は大きかった。1960年代からそれは始まり、おそらくこの2024年に「テレビ」は終わりの始まりがやってきた感じだ。

【大衆の行動を変えたネット】
先日の兵庫県知事選挙では、明らかに大衆の投票行動をインターネットメディアが変えた。これまでは、その影響力はテレビが主に持っていたものだ。

【メインプレイヤー一強の終わり】
この傾向は、徐々にではあっても、数々の勝ち負けを繰り返しながら、レガシーメディアから新メディアへの大衆の影響力行使のメインプレイヤーの移行をしていくものだろう、と、普通は考えられる。その移行が行われない結果となったとしても、現在のメインプレイヤーであるレガシーメディアの一強という時代は崩れたことは確かだ。

【テレビもチューナーレス】
既にテレビは「チューナーレステレビ」というカテゴリーが一般化しつつあり、地上波テレビ、BS/CS含め、見られなくても当たり前、という「受像機」は、大衆の認知を得る時代に入りつつある。

【独占を作った「ブラウン管」】
そのテレビ受像機そのものが「ブラウン管」から「液晶パネル」に変わったことと、製造業のグローバル水平統合の時代に変わり、その価格も安価になった。テレビ受像機の主要な部品である「映像表示部品」は、ブラウン管の時代は、作れるメーカーが限られており、これを作れるメーカーがテレビ受像機のメインプレイヤーとなった。これはクルマで言えば、エンジンを作れるメーカーが主要な自動車メーカーになったのと同じ構造だ。あるカテゴリーの製品には「主要部品」があり、その主要部品を自ら作れるメーカーが、垂直統合で同じ企業内で製品まで作る。そこが価格競争力をはじめとした主要なチカラを独占して持つので、製品のメインプレイヤーもそのメーカーになる。例えば、ブラウン管製造が出来るメーカーであるPanasonicやソニーは、テレビの価格や機能を自ら自由に出来るので、その他のメーカーよりも、市場で強い位置にいられる、ということだ。

【統合から分散へ】
「エンジン(主要部品)とクルマ(製品)」「ブラウン管(主要部品)とテレビ(製品)」というアナロジーが、製品製造システムの構造の垂直統合でできており、主要部品メーカーの製品市場での最強の立ち位置を支えたのだ。

【主要部品はどこでも作れる】
今でも家電関係のジャーナリストなどは「この部品が業界に革命を」などという書き方で「部品」に注目した書き方をすることが多いのだが、その感覚は古い。最近の製造業の国際的水平統合の時代にあっては、部品は幾ら優れていても部品でしか無い。スマホのカメラの部品メーカーが、スマホ製品の主要プレイヤーではなく、単なる部品メーカーである、という例は分かりやすいだろう。

【部品が強くても】
因みに、スマホのカメラ部品の主要メーカーは、つい最近までソニーが強かったが、この数年で台湾メーカーや中国メーカーが台頭している。そして、ソニーのカメラが良く使われた数年以上前でも、ソニーのスマホを、部品を組み合わせて組み立て製造したのは中国メーカーであり、ソニーそのものが「垂直統合」した結果でできた製品ではない。Appleは最初からこれを徹底した。

【製造業の時代変化】
この「国際的水平統合による製品製造業」のほうが、一国一社の垂直統合による方法よりもトータルで製造原価を抑えられ、かつ、より機能や性能が高いものが作れるから、このように変わってきただけだ。

【製造業大国が衰退する】
よく「先進国の製造業衰退」が言われ「製品メーカーは日本から出ていくのはなぜか」という話がされる場面が多いが、これは垂直統合という製品製造のやり方が古くなり、コスト高になったため、国際的水平統合に製品製造のメインのやり方が移ったためだ。「ブランドを持つメーカー」は、水平統合のプレイヤーの一つでしかない。自社で作るよりも、他社の製造委託のほうが、より安くより高機能・高性能な製品ができるので競争優位になる、と言うに過ぎない。

【ビジネスの国際的分散】
製品製造に必要な「投資(カネ)」「ブランド(カンバン)」「部品」「組み立て」の、それぞれの専門業者が国際的に分散し、それらが水平統合されることによって、より安くより高機能・高性能な製品が生み出される。そして、その競争があるので、どこのメーカー(ブランド)であっても、この競争からは逃れられない。結果として「垂直統合」という一国一社の強力な製造業者はいなくなり、水平統合の上手い業者が新たな時代の製品製造メーカーの主要プレイヤーにならざるを得ない。

より高集積で安価な半導体部品が、必ずしも良い製品を作るとは限らない。

そんな時代になった。

【テレビ受像機は単機能で設置も大変だが】
このような時代にあって、より多くの大衆のコンセンサスを作る装置も、テレビ受像機というものだけではなくなり(従ってテレビ番組作りと言う仕事もアマチュアの手軽なものでもいい)、今や高機能・高性能、かつ安価で、何時でも持ち運べて、双方向のコミュニケーションも作れる「スマホ」に、主要な装置が移ってきた。「TVer」「netflix」などのオンデマンドビデオサービスの成功は、この流れの結果の1つである。受像機はテレビより安価で手軽なスマホに移行してきたのだ。テレビはテレビ単機能しかなく、24時間身に付けるということもない。しかし、スマホは24時間身に付け、通知があれば触り、なにかをしたい時は手に取る。テレビ受像機、ましてやブラウン管テレビでは、これはできない。

【スマホではコンテンツのクォリティは関係ない】
だからテレビ番組も、Youtubeで素人の友人や名も知らない誰かがスマホだけで作ったライブの番組モドキも、同じスマホで同価値なものとして、見る側には見られることになる。これが兵庫県知事選挙で起きたことの本質に深く関わっている、と、私は思う。

【根底にはデジタルによる高度技術の低廉化がある】
これらの変化の根底には「デジタル技術」があり、そのデジタル技術あってこそのインターネットがあることは言うまでもない。デジタル技術が近年の人類の革命の起源だ。この革命の起源は社会主義でもなければ共産主義でもない。ましてや資本主義でもない。

【全ては起こるべくして起きている】
ここでは、これらのことは、あまりに膨大でかつ複雑なので、全て分かりやすく書くのは無理かもしれない。しかしながら、結論として、全ては起こるべくして起きているにすぎない以上、そのメカニズムをよく理解して置くことは、生きていくために必要なことであるだろう。

【複雑なものを複雑なままに】
そして、この複雑さをそのまま頭に入れて生きられるかどうかが、人の階級を作るだろうが、それはさらにこの世の中を複雑にすることだろう。

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