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「入門書」の書き方
【誰でも最初は初心者】
ある分野では今は仰ぎ見る超絶なプロフェショナルでも、元はと言えば初心者だ。時間と手間を経てやっと「その地位」にいる、ということが普通だ。だから「自分には力がない」と思うのであれば、それは「今から何をしてもいい」というチャンスをより多く持っている、ということでもある。そんな人に「こんなことしてみたらどうですか?」と指南するのが「入門書」だ。自分もIT技術関係の本をたくさん書いたけれども、実は売れるのは「入門書」だった、というのは事実だ。
【「入門書」は売れる】
実は「入門書」は売れる。自分の場合は意図したわけではない。当たり前の話で恐縮だが、ある分野に尖ったものを持つほどの人は数少ない。「ど素人」のほうが、専門分野には絶対数が多くいるわけで、そうなると「売れる」本は「入門書」ということになる。多くの人が「入門書」を読むが、その中のかなり多くの人が「挫折」する。だから「入門書」を読む人口は時間とともに変わらないか、あるいは時代の要請で多くなることが多いのだが、エキスパートは「少数者」のままだ。別の言い方をすれば「エキスパート向けの本市場が小さい」のだ。入門書を読む「初心者」は、そこに1つでもわからない単語があれば、たいていはそこで挫折する。しかし、著者の「ビジネス」としては、入門書はよく売れるし、当然、より多くの稼ぎがあるので、入門書を書きたい、というエキスパートは多いし、実際、それはその人にとって「楽な仕事」に見える。
【入門書執筆者の落とし穴】
実は、入門書執筆者になろうと思って、挫折するエキスパートは多い。「オレは他の多くの人よりもたくさんこの分野のことを知っているから、教えることがたくさんある。教える人として最適」と思うのだ。しかし、エキスパートになって多くの知識を持っている人は、多くの場合「入門書執筆者として最適」ではない。入門書を読みたい側からすると、本当にそのことのエキスパートになりたいなら「エキスパートに教えてもらってはいけない」のだ。なぜか?その「こたえ」は簡単だ。
【エキスパートは初心者のことがわからない】
エキスパートという立場にいる人は、多くのことを知っているが、その知識は頭の中でしっかり体系化され、様々な事柄が相互に関連していることも良く知っているはずだ。対して、素人は体系化するほどの知識はない。大金持ちのおじさんが近くにいても、学校に通う少年はそのおじさんの考えていることはわからない。昔の記憶をたどって、少々なにか言えるかも知れない、というのが関の山だ。「お金持ちのおじさん」と「学校通いの少年」は知識、経験ともに、質も量も違う。一言で言ってしまえば「立場が違う」。だから、考えていることも違う。当然だが「お金持ちのおじさん」は「学校通いの少年」の立場ではないから、その苦悩もわからないことが普通だ。解決策も持っていないだろう。しかも時代によって周囲の環境も変わっていくから、昔話が役に立たないことも多いだろう。特に最近は環境の変化が短時間で劇的に起きる。もっとわからなくなっているだろう。「おじさん」は「少年」を「宇宙人」「新人類」と呼び、少年はおじさんを「時代遅れ」と言う。どちらが良い、悪い、というのではなく「立場が違う」。立場が違えば、言葉の定義も違う。少年は「お金持ちのおじさん」になりたいと思って教えを乞うが言葉が通じないから、意思の疎通ができない。
「エキスパート」と「初心者」の関係も同じだ。「エキスパートの使う言葉」は「初心者が使う言葉」と違う。エキスパートが無理に初心者の言葉で語ろうとすると、初心者は全くわからない、ということも多いだろう。初心者があることを語ると、エキスパートは「そんなことも知らないのか」と思うだろう。立場が違えば使う言葉が違うのだ。お互いに、ある単語について解説は出来ても同じことをその単語で感じていることはない。
【「入門書」で成功する近道】
つまり、入門書を書いて成功する一番の近道は「自分が入門者になること」だ。自分が右も左もわからない分野に飛び込んで四苦八苦しながら、ほしいものを獲得していく、という「日記」を本にすることだ。自分が既にあることを習得してしまったエキスパートであれば、その分野で入門書を書こうと思わないことだ。入門者と同じ立場に立って、入門者と一緒に悩み、同じことに挫折し、同じことに希望を見出し、一緒に前に進む。著者と読者が共感を持つ。それが「入門書」を書く、ということだろうな、と、私は思う。「オレは何でも知っているから教えてやる」では、共感もへったくれもない。そういう入門書は多いが、多くは失敗する。
【でも「入門書の著者」は、ちょっとだけ先に行くんだよ】
とは言うものの「全くの初心者が書く初心者向け」ではうまくいかない。入門書の執筆者は初心者の「少しだけ先を行く」必要がある。「こんなことに悩んだけれども、こうやって解決した」を実感を持って語るのだ。それが「入門書」だからだ。「今まで悩んでいたことがこれで解決した」そういう自分の達成感とか感動が冷めやらないうちに語られる「実感を伴った語り」が、初心者の多くの人の共感を呼ぶことになる。つまり入門書の執筆者は「多くの初心者が知りたいと思うことを、ちょっとだけ先に知っている、エキスパートではない人」である必要がある。そしてその本を読んだ「初心者」は、著者と一緒に未知の世界に旅に出る。気が付いたときには、かつての初心者はエキスパートになっている。これが「入門書の理想」なんだろうな、と思う。