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「世の中に無い新しいものを作る」ということ。

【インターネットを作ってきた】
自分はずっと、新しいものを作る仕事で食ってきたので、例えば、インターネットなんかも(世界の仲間と一緒に)作ってきた、という感覚がある。インターネットについては実際にやってたしね。それが天から降ってきて(あるいは流行り始めたから)、それを使うようになった、という感覚は一切ない。ごく自然にそこにいて、ごく自然にこうなってきた、という中で、当たり前にものを作る仕事をして来ただけなんだよね。

【新製品は「それアリだよね」】
スマホのメーカーが新しい製品を出す、というのも、自分の感覚から言えば「そういうこともあるよね」が、一番「意外なものに当たったときの反応」であって、それ以上ではない。それは「天から降ってくる」ものではなく、自分の仲間がどこかで作っていたものだから、なんだね。「あいつらなら、やるんじゃないの」なんだね。普通にそう思うんだな。

【多くの人は使う側にいる】
結局、多くの人は作る側にはいないことが多いから、メーカーという「天」が作ったものをどう使うか、どう感じるか、なんだろうと思うんだね。自分もそういう立場にいたら、そう感じるだろうな、とは思うけれども。

【剽窃してもらえるのは嬉しい】
ジャーナリストもマスコミも、そこにあるものを作ったわけではなく、そこにあるものに何かを感じて、それをより多くの人に知らせる、という感じなんだろうね。感じてもらえたら、作る側としてはとても嬉しいんだけれども。

【深くて暗い溝】
野坂昭如ではないが、おそらく「作る側」と「使う側」には、深くて暗い、なんか大きな溝があるんだな、というのを感じることがあるよ。しかも、ぼくらが作ってきたものは、関係者以外は全くわからないし見えないもので、名前も無い物だったからねぇ。でも、そういう仕事もあるんだよな。一生をかけて、それするんだよな。

この感覚はなかなか多くの人にはわからないだろうなぁ、と、最近、感じることが多いねぇ。

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