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正月らしい正月。そして女優・高峰秀子について

【土曜日、仕事したが】
正月3が日が終わると土曜日の昨日だったが、とりあえずPCを担いで鎌倉に。午前中いろいろ連絡する等が終ると、土曜日というのもあって連絡先が尽きて休み状態に。

【鎌倉の路地を入ったところに】
その後、川喜多映画記念館、鏑木清方記念美術館を回ると、実に静かな鎌倉風情。いずれも良く整った展示だが、質素で派手過ぎず、表通りの大混雑とは全く違う冬の静かな鎌倉の邸宅の庭。静かなので自分の息遣いも聞こえる。それが心地よい。自分も古い人間だよなぁ、とも思う。室内は暖かいのでエアコンの音が聞こえるけれど、それ以外は静寂。客もほとんどいない。

展示だけではなく、資料をめくり、開架にある蔵書を拝見。時間が止まる瞬間。

人が生きる場所はなにかにつけて生活感が出る。しかし、こういう場所は生活の匂いはしないから、いっそう心が静かになる。


【展示:女優・高峰秀子で考えた男と女】
川喜多映画記念館では、女優・高峰秀子の展示をしていたが、子役時代からの映画人で、昭和のあの時代の代表的な「仕事を持つ女性」というのが面白い。女優業というのは男的な仕事で、彼女のメンタリティはおそらく、日本的な意味で「男的」な所がないと生きていけない立場でもあった。その上で、仄めかす表現としての「女性」をビジネスの糧にしなければならない、という立場だ。あの時代、彼女はまだいい。もっと下層に生まれれば「女性」ではなく命をも的にして生きていかなければならない人が、非常に多くいたのだ。彼女ももちろんそれは知っていて、その役をも演じたのだ。

【夫は夫の役、妻は妻の役を演じる】
演技から人生を見ているから「夫は夫の役を演じ、妻は妻の役を演じる」という言い方に高峰秀子がなるのは、サルトルとボーボワールの関係を彷彿とさせる。「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と言う言葉の言い換えのようにそれは感じたし、実際そうだろう。

【女性性と男性性】
男から見た女性性、女から見た男性性というのは、長い間に社会の中で培われて来た社会的役割であって、先天的なものではなく後天的なものだ、と言うのはボーボワールのあの言葉から、多くの人に、はっきり意識されてきたもののように思うが、実際の生活では、古来から、それぞれがなんとか生き抜いていくためのものなので、生活の場では、そして老いてからは、当然だが、それは薄れて「地」が出てくるものだ。

【夫亡き後に】
だから、高峰秀子も夫(映画監督・松山善三。結婚当時は松山は無名の助監督だった)亡き後の本音はこうだった、みたいな本(「ダンナの骨壺」)を出していて、それも展示されて読む事ができた。こう言うことをちゃんと言葉で表現しようとして、できる感性と良く訓練された文章作成の技量は、現代にあっても非常に「男的」なものだと言われることだろう。私にとっては、あの時代の、全く職業は違うが、働く女性としての自分の母を思い出すものでもある。その時代が女性にとって最高であった時代だとは、もちろん思わないが、男性、女性というものの関係の本質がそこに隠れていると思う。

【夫婦の仕事】
夫が体が悪くなり、シナリオ書きが妻の口述筆記に頼ることになったことがあって、その当時のことについて記者からのインタビューに彼女が答えた回答があった。記者は「ところで、女優でもあるあなたが口述筆記するとき、夫の言葉以上にあなたが文章であなたの考えたことを加えるとか、そういうことをしたことがありますか?」と聞いた。そのとき彼女は「いいえ。そういうことは一切ありません。監督である夫の言う通り、一字一句そのままですよ」。このとき、大女優・高峰秀子は「ただの事務員」になって、口述筆記をしていた。その姿を思い起こすと、この夫婦の関係の奥深さ、仕事のプロとしての夫、仕事のプロとしての妻、それぞれの領域を侵さない、そして、それはお互いの隣接した領域のプロとしての尊敬があってのもの、という非常に男性的な仕事への姿勢が垣間見える。

【ハワイアンカフェで充電を】
川喜多、鏑木を出て、そのまま人混みの駅に向かう。最近できたiza鎌倉の二階のハワイアンカフェで軽い夕食。ハワイアンビールが美味しい。セルフだがスマホの充電もできるしWi-Fiもあり、空いている。充電を100%にしたのを確認し、少し離れたバー、ブッシュクローバーに行く。客は私以外誰もいない。温まるために、いつものバターが入った温かいラムを最初の一杯に。それが終わると、次からはバーボン。

【メキシコ映画を概観する】
川喜多、鏑木で見つけたパンフレットをマスターにお見せする。その中でも東京駅近くで開催されるメキシコ映画の上映会がすごい。いや、そのパンフレットがすごい。わずかA4三つ折り両面6ページの中にメキシコ映画の歴史と上映される主な作品の紹介があり、活字だらけだが、全部読むとメキシコ映画の歴史と概要がわかる。まるで本を読んだような後味だ。かなり力を入れて作られたのが感じられる。

酔いが回ったら、歩いて駅まで行き、帰ったが、この1日が、今までで一番正月らしい1日であったかもしれない。

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