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「嫉妬」に狂う。

【自分がなれなかった「あなた」】
「妬み(嫉妬)」は、おそらく「自分が手に入れられなかったもの」を、他人が手に入れたときに、ある種の人が起こす感情なんだね。全員がそういう気持ちにはなっていないようだ。僕も嫉妬を受けたことはあるけれども、どう思い出しても他人に嫉妬したことはないなぁ、とは思う。だから、人によるんだね。

【「他人は他人」ができない?】
おそらく「嫉妬」の感情を抱くことになる人は「他人」と「自分」の区別が未分化なんでしょうね。つまり「他人」というものが自分のフィールドの中にいる「自分の写し絵」なんだね。

他人が成功しようと失敗しようと、本来は関係ない。だって全くの他人なんだから。嫉妬する人は自分の近くに嫉妬の対象があることで、自分の嫉妬心を燃やすんだな。でも、例えば「そのヒト」が全く自分とは違う遠くの場所にいる人であれば「自分とは関係ない」と、思えるよね。つまり「嫉妬する人」と「嫉妬される人」は、近い関係にある、ということだね。「嫉妬する人」が認識することができる(距離にいる)人に嫉妬するんだな。

「自分の近くにいる人」てのは、要するに社内の人とか、あるいは外注で使っている人とか、同じ社会グループに属している、とかなんだな。つまり、自分の所属する社会(組織でもあったりします)の、中、あるいは近傍にいる人と自分を比べて、自分が起こす「感情」なんだね。

そして、嫉妬する人、嫉妬される人、ともに「同じ社会の中の同じ一員」というように、特に「嫉妬する人」は感じるんだろうな。

【「嫉妬」は距離感がキーの一つになる】
つまり「人どうしの距離感」というのは、「同じ社会にいるかどうか?」なんだろうね。そして、日本という社会は「同じ人がたくさん同じように動いて社会を動かす」という「社会内人員の同質性」が、暗黙の認識であるんだね。社会は様々な個性を持った人がそれぞれの機能を果たす、という考え方ではなく、ね。

【社会集団内の「同質性」が重んじられると】
日本のような社会では、土木工事や農耕などの生きていくための労働では、社会内人員の「個性のある異質性の組み合わせによる社会集団の維持」よりも「社会内人員の同質性」で、社会集団の維持を図るので「ノーブル・オブリージェ」を実現するような「リーダー」はむしろその集団から排除されるんだな。そして、その排除の元をたどると、それが感情で表現される「嫉妬」ということになるんだろうね。

【「同質の労働者」のメンタリティ】
言い換えれば「嫉妬」という、今の社会ではネガティブに捉えられる感情は、その元に「多くの同質の人の同質の労働」がある。つまり、リーダーは、その同質性から外れて、「同質」の人たちに「どちらを向いてどういう作業指示を出すか」という役目になるから、この「同質」を重視する種類の人は「使われる人」のメンタリティを持っている、ということになるよね。

【「ロボットのような人」と「本物のロボット」】
しかし、時代はAIとロボットの時代になったから「同質の人が同質の労働をする」のは、AIやロボットがやるようになる。そうなると、全ての人は「異質」を容認し合う関係で社会を築かざるを得ない。そうしないと社会が成り立たず、生きていけなくなるからだね。そうなれば嫉妬はなくなるだろうな。

でも、未だに「ロボットのような人」を一生懸命訓練して作ってきた今までの社会から抜け出せずにいる人が多い、ってことで、そこに「嫉妬」ができるんだろうなぁ。これからは「ロボットがやることはロボットがやったほうが、安くて正確で速い」わけで、人間はどんどん排除されていくだろうね。であれば「ロボットのような人」を作る教育ではない、新しい時代の 教育が必要になるよね。そうなると他人と自分が同じ社会の中にいて、かつ異質であっても、なんの問題もない。むしろ、異質でなければ困る。

つまり「嫉妬」という感情はそういうものなんでしょうね。

【「ロボットのような自分」の変革】
だから、「自分は嫉妬を持ちやすい性格」と自覚する人は、自分とその一族がどういう環境で育ったか?ということ、言い換えれば「ロボットの代わりの仕事をさせられていた」ことを自覚し、自分を「ロボットに指示を出す仕事をする人」にならないと、これからの先はない。おそらく、そういうことなんじゃないかと思うんだね。

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